印度放浪を15年ぶりに読んで・・・

Indian Restrant

大学生時代に現実逃避とエキゾチズムへの憧れがないまぜとなって、藤原新也の「印度放浪」(文庫版)を読み、旅への憧れを募らせた。チベット~インドという旅の計画は立てたものの結局、諸々の事情で行く事はなかった。その後、「西蔵放浪」を読み、それきり「藤原新也は卒業だな」と勝手に決め付けていた。

最近はカメラをいじるようになり、ふとどこかのブログで藤原新也について目にしたものだから、帰り道に紀伊国屋で「印度放浪」を懐かしく、約15年ぶりに手にとって見た。

ふと、前書きである「15年目の告白」を立ち読みしてみた。

観覧車

文庫版のためのらしかったが、全く僕は読んだ記憶がなかった。

そこでは藤原新也が20代の若者から「なぜインドへ行ったのですか?」という彼がその日まで何万回と質問されたことを、再びたずねられていた。

質問されている藤原新也は40歳になりたてらしかった。そして、そこで何かが変わったということ(まるで悟りのような・・・)が朴訥とシンプルに書かれており、その心の動きに共感していた。

The Man look up the Sky

なにに驚いたって。40代の藤原新也に共感し、エキゾチズムとしてしか見れなかった「印度放浪」の写真が全く違った意味に見えてきたこと。

つまり僕は年を重ねているのだということ。
願わくば本当に「賢く」なっていればいいのだけれど。

10年分の僕のカルテ

20080120095

数年間使った眼鏡の鍍金が痛んできたので、そろそろ新しい眼鏡を買いに行くことにした。この10年間、浮気を少ししたが、いつも同じ眼鏡店だ。
はじめは2000年前後に心斎橋の小さいお店に偶然、立ち寄った。
急に眼鏡が壊れて駆け込んだという感じだった。
そこでの接客と検査が満足できたし、なによりも自店開発のフレームが気に入ったのだ。

20080120091

その2~3年後に神戸店ができたので、そちらでも作らせてもらった。間にちょっと浮気をして、今日に至るわけだ。今では心斎橋店も神戸店もなくなり、むしろ東京に店が増えているようだった。
茶屋町店では、気に入ったクラシカルなフレームを選ぶと、店員は僕の名前を聞いて、カルテを探しに行った。特に期待していなかったが、しっかりと心斎橋店、神戸店の手書きのカルテが出てきた。それを見た瞬間、僕は信用した。

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その後、これまで通りの丁寧な検査を行い、レンズの構成の提案は3種類。
購入するレンズの種類の提案も綿密に。
完成は1月末。とっても楽しみだ。
そして、高いレベルの接客にはお金を支払う価値があり、商品自体の価値も高めると久しぶりに再確認した。

撃つぞ。未来を。

阪神競馬場への道

現在、神戸市、西宮市、芦屋市の約1000社へのDM発送作戦を準備中。
また、分かれた流れがひとつに帰ろうとする空気も満ちてきた。
バラバラにひとつに。ひとつでバラバラに。

Goal!

すべては一人ひとりのために。
さあ、弾を撃つぞ!

街にはアートが溢れている

sad man

もちろん、違法なものもあるけど、アートはある。携帯のカメラをみんなが持ち、ブログをできるようになって、ますますアートは見つけやすくなった。

神戸駅を抜けて

世界は切り取れば、意味を持つ。
切り取らなければ、僕らは理解できない。

ムンクがいっぱい!

カメラは世界をインスタントに見つめなおす機会を与えてくれる。
そして多くの人が小さなカメラを持っている今。
世界は命を革しくできる。・・・・かもしれない。

湊川神社で10数年前の僕らを見る

もともと結婚式を挙げるつもりで資料などももらいにいった神社が湊川神社だった。ふたりの勤務先が三宮だったので神戸で挙げたいという思いと、生田神社はいつも休憩で行っていたのでなんだかなぁ。という思いが交錯しての選択だった。

湊川神社

あの震災以来、湊川神社へ行く事もなく、あの頃、神戸で挙式を挙げられるわけもなく、京都で式は挙げた。そして今日まで突っ走ってきた。
で、「二人で久しぶりに行ってみるか!」となった。

神木

楠正成を祀った神社で明治以降に明治政府によって建てられた神社ということをウイキペディアで知った。あの頃なかった手段で、あの頃知らなかった情報を知った。

結婚

古式ゆかしい結婚式が行われていた。
直前まで降っていた霧雨は止み、しずしずと新郎新婦が親族とともに歩いていく。
僕らが10数年前にそうしていたかもしれないように。

何気ない景色にも

不思議な存在はたくさんある。
たくさんの人たちの想いが町を作るのだ。

昔、建築を勉強している友人とそういう話をしたことがある。

建築やっている人って、完成した直後の美しい「建築写真」から後の事を本当に考えているの?
その後から、ようやく建築は「存在物」となり「道具」となり、「町」になり、壊れたり直したり、落書きされたり、愛されたりしながら、本当に建築になると思う。

なんていう話をしたことがある。
今もそう思っている自分がいる。

撮っている写真群を見ると余計にそう思う。

宝塚のえびすさん

宝塚神社内におられる小さな小さな宝塚えびす。
この地域の豊穣を祈った神様だろう。
大きな「大福」と鯛を染め抜いた旗が社に飾られていた。

今年は、特に長い時間手を合わせた。
なにかを期待する訳ではなく、自分への約束。

ワインディング・ロード

2007年最後の夕焼けのバスターミナル

2007年最後の空は雪が止み、真っ赤な夕焼けだった。
初夢もゾンビに追いかけられる夢だったし、ともかくも船木は敗れた。
何だが不安な12/31となった。

小林の冬空

正月休みの最終日、ひさえちゃんと初詣に出かけた。
なんだかすっきりとした冬空を見ながら、歩いていくとモヤモヤしていた気持ちは、冬空のように透きとおっていった。
宝塚神社

曲がりくねった道も振り返れば真っ直ぐであるように生きるしかないのだ。

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