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何が出るかな?


まもなく大きな打ち合わせ。
打ち合わせは小さいのだけど、各々が決断をせざるを得なくなる打ち合わせ。

ぎりぎりになってでる人間の大きさ。
何が出るかな~?

店舗調査

前の仕事の時から、そうだったのだけと、僕は競合店や別の地域のグループ店舗なんかを見に行くのが、大好きだった。
どんな店を見に行っても、ヒントがない店はなかったし、何よりモチベーションが上がるのだ。
でも、WEB制作会社になってから、流通業であるような直接的な調査は、なくなり、モチベーションアップは、自ずと内省的になりがちだった。
たまに現れる競合会社も、その場限りの緊張であり、いま一つだった。
今年の一月から兵庫と大阪の主だった大学を15大学回った。目的は、今やっている活動の説明に伺ったのだけど、もう一つの大事な目的は、大学名と現場の雰囲気を自分の中でリアルにする事だった。
店舗や食堂、職員さんの雰囲気や学生の気風や駅から大学までの町並みなど。
名前と現場の空気を思い起こせる事が、今年の目標である、魂を込める事にもつながるんじゃないかと考えていた。
回って行くうちに、これは十年前に僕が大好きだった店舗調査と同じだと気が付いた。
今、僕の体には、阪神間の大学の空気が実感を伴って、刻まれている。
また、ここに戻ってきたんだ。

今日、納得した言葉。

リンク: 『浅草弾左衛門』塩見鮮一郎 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇.

ぼくが『フラジャイル』(1995)に弾左衛門をとりあげたときは、ロラン・バルト(714夜)を引いて、こう結んだものだ。「人間の演ずる行為は、容認された差異の関係のシステムを前提にしているものである」。

今日、読んでいて納得したことば。演ずる行為に先行する「容認された差異の関係のシステム」の存在。当たり前なんだけど、きちんと言葉で理解することで、本当に行動に活きると思う。

若者に気がつかされること。

最近は仕事柄、大学生たちと会うことが多い。
知識や判断力、情況分析では、かけた時間の分だけ勝っていると感じる。
当たり前だけど。(そうでなけりゃ、むしろマズイ。)

でも・・・・はじまりの気持ち。思い込み。半端な判断での行動力。
それらを目の当たりにすると、未熟さとは失われた資質なのだと気がつかされる。

普段、大学生のような若者に数多く接しなければ、こんなことを思わず、
居酒屋や町で見かける若者を十羽一絡げに「いまどきのバカなワカモノ」と
捉えていたかもしれない。自分たちがそうされて、怒ったように。

未熟さを純粋と読み替えるほど、僕は柔ではないけど、未熟さにあてられて、
自分の想いのルーツに気がつかされるのだ。

コントロールできない怒り


さて、義理が通っていないと感じた時に湧き上がる怒り。
僕が最もコントロールできない怒りの種別だ。

そもそも「義理が通っていない」との判断自体が、
限られた情報からだから無謬であることはありえない。

という理性的な制御を超えて、あふれ出た怒りは僕を疲弊させるけど、
忘れるという時間薬も効果が薄いという厄介なものだ。
僕にとって。

さらに、ここに身内への不義理が入ると益々あきません。
と書いてるうちに怒りがふつふつと。

平岡正明の著作に「冷静さを失った方が喧嘩は勝つ」といった記述を見たような気がするけど、
喧嘩に勝っても、後始末で負けてたら意味ないじゃん。
と読んでいる時は思ってたけど、そうでもないな。

先に踏み込むハラを据えた方の勝ち」
と読み替えたとして・・・・なんになるのやら。(苦笑)

坂を曲がって、上がると、そこは?


先週は・・・
神戸、大阪、岡山、東京を行ったり来たりの一週間だった。
その移動の目的は、誰かにあって、語り合うことが目的だった。

語りあえて、分かったこと。
それは?

空ろな器に魂を込めることを今年の目標とした1月の総括。
魂は注ぎ込まれ始めている。という不安定な確信。

1000 0.35 14


このブログを始めたのが、2005年の1月だから、すでに5年目になっていることになる。

あと17エントリーで1000になるようだから、だいたい年間250エントリー平均ということか。

こんなに長く続けるつもりは、全くなく仕事柄、ブログのASPサービスの機能の具合を調べてみるかという感じだった。

だって、最初はTypePadって数十MBくらいしか容量がなかったんじゃなかったっけ?

容量が増えたら続けるかもと思い始めたころに4GBまで増えたので、これはライフログとして続けるかという気にもなり始めている。

現在の使用量は、14MBで総量の0.35%と表示されている。
僕の4年間は、たったの14MBというわけだ。

これからもダラダラと「   」を確かめるために続けることにしよう。
いまさらやめられないしね。

忘れ物


たまたま立ち寄ったブックストアでジャック・ケルアックの文庫「孤独な旅人」を見つけた。ビート小説の傑作「路上」を出してから3年後の短編集らしい。
最近でたのかな?と思って、奥付を見ると、初版本で2004年となっていた。
ビートジェネレーションはカルトな人気あるんだけど、あんまり売れないね。

久しぶりにケルアックの「呑み屋の語り」のような短編集を読んだ。
自分が臆病になっているという事実を思い出させてくれた。

短編集だから緊張感のある走る抜けるような作品集だ。
バップを聴くような感覚。「路上」はアメリカがごった煮なっているから、ジャズもあれば、カントリーもあるから。

「孤独な旅人」は、忘れ物を思い出させてくれた。
ただ、その忘れ物を取りにいけるかは別問題。


2008年は、一生懸命に「器」を作って、「中身」もつくろう走り回った。
でも、器らしくものはでき、中身もそれらしくはできたけど、僕自身が「魂」を込めたという心持になれなかった。

それでも、2008年の報告書を作ると、それなりの迫力を持っている。
それは、仲間で汗をかいた証だ。それでも空回りという言葉がよぎる。

今年は「魂」を込めること。嘘のないこと。
1月は終わったけど、着実に進んでいる。・・・・と、今は思うことにしよう。(苦笑)

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