3年間のウミ


右肩の後ろにできた小さな出来物がみるみる大きくなってこぶし半分くらいまで育ってきた。

最初はそうでもなかったのだけど、だんだんと熱をもってきて、押されると痛みを感じるくらいになってきた。仕事の切れ目はないのだけど、なんとか今日の朝に皮膚科に出かけてみた。

先生は見るなり、「すぐ切ろう。中の膿をすぐにだそう」と診断した。

「はい、そこに横になって!」

「切ったら膿がどーっと出るから、ベッドにゴムシート引いて!」
と看護師さんに指示。

あれよあれよという間に、ちくりと痛い麻酔を打たれて、ヒヤリとした感触が。
それがメスで切られている感触だった。麻酔をしていても痛いものは痛い。

切り込みを入れた皮膚から膿を絞り出すために、先生が力をかけて出来物を上から押してくる。

「先生。痛いですわ・・・」

と言うのだけど、「膿出さんとあかんやろ。それにこんなに溜めたらあかんで」と叱られたので、それ以降はウンウンと我慢だった。

で、切り口にガーゼを詰め込んで終了。
毎日、ガーゼの交換と消毒に行かなければいけなくなった。

「先生。なにが理由ですかね」
と僕。

「免疫がぐっと下がって、雑菌にやられたんやろね。仕事のしすぎや」
とのこと。思い当たる節はありくまくりだ。

この3年間。休みなしに朝から晩まで日本中を駆け回ってきた。
リアルとネットの両方でも、発言し、文章を書き、説明、説得、立案。
なんでもやった。

その疲れの表現が、この出来物なんだろう。

出来物の跡地である切られた右肩後ろは、まだヒリヒリするけど、少し軽くなり、微熱も収まった。

体が伝える実存的なメッセージに耳をすませ、しばらく大人しくしておこう。
どうせお酒も3週間は呑めないしね。(苦笑)

休日の終わりの哀しさと気侭さ

image1711164889.jpg今、日曜日の夕方。某所のマクドナルドにて、時間を潰している。

先ほどまでは、勉強したり、お喋りをしたりで騒がしかったが、そんなざわめきも静かになってしまった。

みんな家に帰ったんだろう。

日曜日という休日は、あっという間にやってくるんだけど、休日の夕方はなんとも言えない心持ちになる。

あぁ、また明日から忙しい日々が始まってしまうという事に少し憂鬱になりながらも、後数時間ある気侭な時間を改めて実感し、無駄にすごしたりする。

改めて、時間の一回性に思い至り、物悲しい心持ちにもなる。

日曜日の夕方のマクドナルドの一瞬の静けさが、一人きりで時間をつぶすストレンジャーを雄弁にした。

あっという間に晩ご飯を食べる家族で騒がしくなったけどね。

道を歩む。好きな道を。


という本があったような気がするけど。

いつも僕らの前には道はある。生きている限り。

ただ、その道が(苦しくても)楽しくて、生きている実感のある道筋であるか?
それが大事だ。

ただ、周りの風景も楽しめない旅なんて!

今始まる一歩がどんな道行きなのか。
わくわくしている。

というわけで、早速モノクロ習作


撮ってみて分かったけど、面白いな!

モノクロって勝手に「リアルすぎる」と思い込んでいたけど、むしろ逆。

ファンタジーをベースにしたリアリティーとでもいう感じ。

結果として世界の存在が理解しやすくなる。
だって、僕らは「存在」を本当には理解できないから、間接的に理解するには、モノクロ的視界がいいのかも?なんてね。

ちょっとかじった位で語るな!と・・・ごもっとも。

モノクロ


僕は撮影をカラーでしか撮らない。

だって色がある方が楽しいでしょ。と思うのだけど、最近、色に逃げているだけで、構図がいい加減になっている気がしてきた。

であれば、一層構図に集中すべく、モノクロに挑戦しようと思う。

こういう誰にも関係ない自分だけの挑戦っていいな。

そろりと一歩を。そしてさらに深みへ。


一年かけて試験開発していた新商品の仕上げのために色々な方に意見を頂いている最中だったのだけど・・・

「やってみよう!」という勇気あるクライアントが出てくださった!
というわけで今年はこれ以上は無理ということになった。

さて、うまくいくのか?

どんな結末であれ、始まってしまえば、さらに深みに入っていくことになる。
なんであれ深く、自負(と不安)をもって、歩んでいくしかない。

来年のスケジュールはトラベラーズノートで。

image1659256783.jpg去年と一昨年はクォバディスのビジネスで管理したのですが、ノートがペタンと開かない事と一日の幅が窮屈なので、今年はiPhoneとGoogleカレンダーの同期で行きました。

特に不満はなかったのですが、ある日、非公開にしてるはずのカレンダーが廃っに公開しているカレンダーになっていて、ひやりとしました。

それ以来、注意してるのですが、やはり見られては誤解を招く予定もある訳で対策に迫られていました。

結局、スケジュールの基本はアナログに戻し、公開スケジュールだけGoogleカレンダーに書き込むという従来の形に戻す事に。立場的にデジタルの使い方もあるもんだと再認識。

ばたんと開いて、予定が書きやすく、格好よいスケジューラーとしてトラベラーズノートに落ち着きました。あとは何で書くかだな。(笑)

理想の体制への模索が続く。

ロング・グッドバイ


村上春樹が新訳をして、随分前に評判になったレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」を読んでいる。

二十歳のころにいきがって読んだのだけど、訳のせいではなく、フィリップ・マーロウの煮え切らなさの「味」が良く分からなかった。しばらくバーかなんかでギムレットを飲んだりしたくらいだったし、うまいとも思わなかった。

なんで20年もたってから、ふと手に取ったか?
良く分からないのだけど、あの頃、分からなかったことを急に色々と深く心に届くことが増えたからかもしれない。

藤原新也のデビュー作の「印度放浪」が十数年余りたってから文庫版になった時、新しいまえがきがついた。印度放浪の頃の藤原新也は20代半ば。文庫版の時が40歳。

印度に行った理由は当時は自分でも分からなかったのに、40歳になった藤原は、あっさりと語っている。(悟っている。)

僕自身も、なぜ会社を飛び出したのか?の本当の理由が藤原新也のまえがきで胸に落ちた。
つまり、いろんな事が本当に胸に落ちてきているのだ。

ロング・グッドバイ(やはり名作だ!)を読みながら、そんなことも思っている。

片思いの子に電話したくなる公衆電話


僕が高校の頃は、片思いの気持ちを伝えるには、そう手段があるわけでもなく、しかもモテナイ族でもあったので、余計に手段は限られた。

決意を持って、相手の自宅に電話をしたりしていたが、僕の家からかけられるわけもなく、近所の公園からかけたりしていた。

今思いだしても恥ずかしい思い出だ。

でも、それが大事な思い出だと理解するには時間がかかる。(苦笑)

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