
デルタ株の流行もあり、お店での食事は控え目。そのことを勘案しても、ほんとに現金を使うことが減った。
会社の近所の弁当屋もPayPayだし、セブンイレブンは楽天ペイ。
テレワーク時に使うライフはPayPay、阪急オアシスはQUICPay。
定期診断を受けているかかりつけ医はオンライン診療でカード決済。
処方された薬を受け取る調剤薬局は楽天ペイでOKだった。
ここ1ヶ月で現金使ったのは、歯医者くらいかも。
PayPayの利用有料化で変わるのかな?
立ち飲ミストで経営者のモヤモヤブログ

デルタ株の流行もあり、お店での食事は控え目。そのことを勘案しても、ほんとに現金を使うことが減った。
会社の近所の弁当屋もPayPayだし、セブンイレブンは楽天ペイ。
テレワーク時に使うライフはPayPay、阪急オアシスはQUICPay。
定期診断を受けているかかりつけ医はオンライン診療でカード決済。
処方された薬を受け取る調剤薬局は楽天ペイでOKだった。
ここ1ヶ月で現金使ったのは、歯医者くらいかも。
PayPayの利用有料化で変わるのかな?
週2〜3日の自宅テレワークをはじめて1年余り。
仕事部屋は光がさんさんと注ぐので、日が暮れていくがわかる。

リーダー達との毎日の夕礼を終えると、あとは今日の仕事をしまっていく。
Slackのステータスをオフにすると、19:00過ぎに終業。
自宅テレワークの場合、遅くまで仕事するか定時ごろには終わるかどちらかだ。
階下では嫁さんがいる時は、晩御飯の用意の音と匂いがする。
自宅テレワークの時は、一度も外出しない日も多いけど、エコバッグとスマホだけ持って、ビーサン履いて出かける。

「ちょっと、行ってくるわ」と嫁さんに声かけて、家の外に出る。
今時は、熱気は和らいだとはいえ、まだムッとする空気が残っている。
でも陽は落ちつつありけど、真夏のこの時間はトワライトタイム。
徒歩数分の近所のスーパーライフへ。

歩きながら今日の仕事や出来事を少し考える。
惣菜を買う人で賑わう店内。
缶ビールはロング缶を最近買っている。
その日、最初のビールがロング缶だと、なぜか贅沢な気分になるのだ。
スーパーから帰宅すると、嫁さんが晩御飯をテーブルに並べ出してくれている。
猫たちにも晩御飯を与えてから、僕らの食事の時間だ。

いただきます。乾杯。
そして、iPadでSlackに投稿された日報を見ながら、ワイワイと晩御飯をする。
自宅テレワークのささやかな幸せ。

1980年台末から90年代初めが僕の大学生時代だ。今ではバブル景気末期を楽しんで、駆け込み就職もできた世代とか言われているが、まさにその通りだと思う。
とはいえ、いつも金がなかった。
時給を考えずにやりたいアルバイトをやっていたことや、そもそもあまり働きたくなかったからだ。
(今では週6日働くワーカホリックおじさんだが・・・)
だから長期休暇の娯楽といえば、有り余る時間を使って、青春18切符と安宿を巡る一人旅だった。
一人旅に出ると、意外に金を使わなかった。
歩いてばかりだから酒も飲まず、飯も適当になり、安宿に泊まり、人にも会わないからだ。
とはいえ、鈍行電車の移動は退屈になってくる。
そんな時は伸びたテープをウォークマンで聴きながら、読書しかない。
(スマホもPCもない時代・・・)
そして、旅のお供は常にジャック・ケルアックの「路上」だった。
西海岸ぽいカバーイラストがかっこよかった。
今では旧訳になっているのか。
(「オンザロード」より「路上」の方がしっくりくるので、そのまま続ける)
「路上」が鈍行電車旅の読書にいいのは、文章が短いエピソードの連続なので、切れ目もはっきりしてて、どこから読み始めても、どこでやめても問題ないこと。
何より長いので、旅の最中に読み終わる心配もない。
風景に飽きてだるい時、酒を飲んでいい気分の時、一人でさみしい気分の時。
「路上」には、どんな時も付き合ってくれるシーンがある。
「ジャック・ケルアック展」で、断片的な自身の旅の記憶を思い出した。
コロナ禍の平日ということもあり、終始、観覧は私一人。
だからゆっくりと舐めるようにみて回った。
ただ、思い出が蘇るばかりで、もう一度、「路上」を手に取り、旅に出たい!とは湧き上がらなかった。
「ジャック・ケルアック展」は過去の自分との対話のようだった。
それでも楽しい時間だった。
さよなら。時間だけ持て余した青春の時間。
効率追求が好きな人がいるとして、自身が属する場や組織の無駄を省き率を良くしたい。と当然思うのだろう。
一人そういう人がいると、いろいろなことが見直され、効率改善することと、そのままで行くことがはっきりしていくだろう。
そのままで行くことが決まると効率追求好きの人がいたたまれないかもしれない。
一方、可能な効率改善は果てないとはいえ、徐々に劇的な変化は減っていく。
そうして・・・効率追求により生まれるはずの余剰でなにをするのかが大切だ。
しかも最初に確認しておかなければ、効率追求自体が目的になる。
効率追求自体が目的となり、効率化の成果は徐々に縮小していき、曖昧な余剰だけが生まれると、その先には余裕なのか怠慢なのかがが到来するのかもしれない。
とある若者の時間経過を見ていて、そんなことを考えた。

今年から自前ブログを久しぶりに再開したが、意外に継続できそうな2つの要因があることに気づいた。
一つ目は複数のブログに分散していた記事をインポートで集められたこと。
これで2000件以上の記事のアーカイブができた。
とはいえ、無理矢理移行したので、レイアウトが崩れたりしている投稿もあるが、テキストの塊と考えれば、個人的には問題ない。
これが重要な契機になる。
二つ目はブログエディタMarsEditの導入だ。
エディタとしての使い勝手は少し古めかしい感じもあるけど、古参ネットユーザーには、むしろ手馴染んだ感じ。
そしてMarsEditで2000件以上の記事アーカイブを検索すると。。。
出るわ出るわ。過去の自分の思考の跡が。
そして、投稿内容を思いついたり、過去から発展させたり、別のキリ口になったりして、投稿モチベーションが上がる。
過去記事の集約化とMarsEditの検索機能の組み合わせが、継続的そうな環境を作ってくれた。
過去の思考の跡が、今を豊かにするのだということか。
瞬間的な思いつきはTwitterに流しているが、良さげな投稿はブックマークしておいて、こちらもアーカイブ化しておくかな?

僕がブログを書き始めたのはいつだったか?
おそらく2000年初頭にMovabletypeがブログを広めてから、Typepadを使ったり、国産サービスを使ったりしながら書き継いできた。
WordPressの登場が決定打になり、ブログサービスの活況は落ち着き、TwitterやFacebookの興隆でブログの死も言われるようになっていたか。
それでも文章を書きたい人がいなくなることはない。
SNSにうんざりした人たち向けに2010年代半ばからMediumなどのシンプルに長文が投稿できるブログサービスが広がってきた。国産のnoteもブログ再興の流れだろう。
僕もMediumは早いうちから利用し、応援する意味でもWordpressから全面移行した。
ただ、Mediumはビジネスモデルの変更などで使いにくいと感じるようになり、いったんnoteへ移行。結局、今年から再び、Wordpress.comに独自ドメイン、プレミアムコースを契約して利用することにした。
面倒だけど、散逸していたブログ記事を、ここにまとめることにした。
Medium の投稿を WordPress.com へインポート
WordPress、Mediumは容易にできたんだけど、なんとnoteにはエキスポート機能がない・・・
さすが国産。
検索するとnoteのエクスポート機能を有志の方が作ってくれていた!
というわけで早速、利用させていただく。
とはいえ、こういう機能に注目が集まるということは?
ともかくこれで集約することに成功。一部抜け落ちている気もするけど問題なし。
2005年からの記事は集約すると、2000本あまり。
これからここで書き継いでいこう。
あの朝から26年か。

何が起こったか全くわからないまま明るくなった朝。
全壊の我が家の前で、呆然としていた。
向かいの潰れた家々からか細くつづく助けを呼ぶ声声。
向こうまで見渡せる我が町。
漏れるガスの匂い。
走り回る洋犬たち。
行列の公衆電話。
ありきたりだが、ありありとフラッシュバックして、息苦しい時が今もある。だんだんと少なくなってきたが。
それが時間の経過かな。
この震災の翌年に創業した当社は今年で25年。
生き残った自分が立ち上がって始めた事業をきちんと引き渡していきたい。
と思う。
何度目かのブログの再開は、この日から。
そしてブログ名称も新たに復活。