競馬を50代後半で始めた訳【253本目】

小さな会社を経営していると、まとまった休みを取るのが案外むずかしい。
20代後半から50代後半まで、ずっとそんな生活を続けてきた。
一日まるごと休もうと思うと、事前調整が必要で、結局いつも通り働いてしまう。

それでも、不意に「細切れの空き時間」が生まれることはある。
そういう時間の使い道は、読書か散歩くらいしか思いつかなかった。

仕事柄、生成AIはほぼ毎日触っている。
あるとき、ふと「これ、競馬に使えないだろうか」と思った。
それまで競馬を含め、ギャンブルにはほとんど興味がなかった。

関心を持った理由は単純で、競馬1レースごとに公開される情報量の多さだ。
出走馬、過去成績、馬場、オッズ。
これだけのデータが揃っているなら、生成AIで分析して、不確実性に挑戦できるのではないか。
そんな好奇心だった。

経営者として、事業の不確実性にはずっと向き合ってきた。
分析して、仮説を立てて、判断して、結果を検証する。
それはもう日常に近い。
だから競馬と生成AIの組み合わせは、自分の感覚に妙に合う気がした。

11月最初の週末、試しにレースに参加してみることにした。
馬券購入は思っていた以上に簡単で、銀行口座との連携もすぐ終わった。
妻にも一言断りを入れて、即PATを設定。
これでデスクのパソコンから、空き時間に馬券が買える環境が整った。

ただし、自分なりのルールは決めた。
関心は「不確実性の分析と予想」なので、1レースあたりの上限金額を設定。
重賞レースのみ参加することにした。
理由は単純で、一次情報が豊富だからだ。

最初の予想は、JRAの公開データを生成AIに渡し、加点方式で評価。
結果は……全敗。
その結果をまた生成AIに渡し、批判的に振り返る。
そんなことを毎週、土日のレースで繰り返した。

気がつけば、馬券分析の仕組みはver3.2まで進化していた。
馬券購入総額の回収率は、おおよそ100%。
勝ってはいないが、負けてもいない。

「不確実性の分析と予想に挑戦する」という意味では、週末のレースが純粋に楽しみになった。
長く続けられそうな、新しい趣味になりつつある。
データ分析を楽しんでいるつもりが、いつの間にか競馬そのものや、その文化にも興味が向き始めている。

人生の後半で、こういう趣味があるのも悪くないな。

アイデアの迷いに光を当てる相棒=生成AI【249本目】

最近思いついた新しいサービスのアイデアを、iPadとApple Pencilであれこれ書きつけながら、しばらく頭の中でこねくり回していた。前半部分のコンセプトは「これはいける」と胸に落ちるのに、後半部分になるとどうも焦点が甘い。ユーザーが実際に利用して満足してくれるのか、そのイメージがどうしてもぼんやりしてしまう。自分の中では筋が通っているように思えても、確信が持てないのだ。

そこでChatGPTにアイデアを投げてみた。返ってきた答えは「後半部分はビジネス的にも厳しいのでは」という冷静な評価。まさに自分の中で曖昧にしていた部分を、はっきりとクリアに言語化されたような感覚だった。頭の片隅で「ユーザーはここで本当に満足するだろうか」と引っかかっていた点を、きちんと突かれることで、余計な迷いが整理されていく。自分一人では甘く見積もってしまうフォーカスを、ChatGPTがくっきり描き直してくれる感じがある。

そこで発想を変え、前半部分だけを切り出して、既存サービスとつなげる形に組み直せないかと再度問いかけてみた。すると今度は高い評価が返ってきて、私自身も「これならビジネスとしてイメージできる」と納得できた。最初の完成形にしがみつくよりも、強い部分を活かして再構築した方が、ずっと筋の通ったプロジェクトになるのだと気づかされた。

結局、新サービスのアイデアは半分にぶった切って再構築することにした。最初の構想からは大きく形を変えたけれど、無駄な枝葉を落としてみると、むしろ現実的で力のあるものに近づいた気がする。

迷いや甘さを一度クリアにしてくれる存在=生成AIがあると、アイデアは驚くほどシンプルに研ぎ澄まされていくのだなと実感している。

【246本目】ブログを書くのが楽しくなる〜ポメラとAIの二人三脚

ブログを書くとき、以前は下書きから仕上げまで全部「ひとり」でやっていた。

でも最近は違う。まず自分であらすじを書き、ChatGPTに「文字数はこれくらい」「トーンはこんな感じ」と伝える。すると文章の流れや展開を考えてくれる。もちろん出てきた原稿はそのまま使うわけじゃなく、かなり手を入れる。それでも自分では思いつかなかった構成案や言葉の運びを提示してくれるので、とても助かっている。結果としてブログ投稿のハードルがぐっと下がった。

ネットを眺めていて思うのは、役に立つかもしれない体験談や細かな工夫が、検索しても見つからなくなってきたことだ。SNSには断片的な感想や写真があふれているけれど、それは投稿者の気分に寄り添ったもの。読み物としてまとまった記事に出会える機会は減っている気がする。だからこそブログという形式にこそ、生成AIをうまく組み合わせる余地があるんじゃないかと思う。自分の体験や考えを、AIに助けてもらいながら整えて公開するスタイルでもいいんじゃないかな。

ここでタイトルに戻る。ポメラDM250の出番だ。テキスト入力に徹した専用機で、気が散らずにひたすら文字を打ち込める。出先のカフェでも、自宅の片隅でも、ノートのように開いてポンポンと文章を刻んでいける。完成原稿までは難しくても、ブログの核となる骨組みを作り上げるには十分だ。

そしてポメラにはオンラインに渡すための仕組みがある。打ち込んだ文章をGmailで送信したり、iPhoneにQRコードで共有したりできる。そのままChatGPTに放り込めば、文章を膨らませたり整えたりしてくれる。つまり「ポメラで書く」→「AIに託す」という流れが自然に成立するわけだ。

これはけっこう理想的な役割分担かもしれない。ポメラはひたすら文字を生み出すことに集中する。AIは受け取った素材をもとに、構成を整えたり、読みやすく磨き上げたりする。どちらも単独では物足りないけれど、組み合わせると執筆のリズムが良くなる。

ブログを続けるうえで一番大変なのは、「書き始めるまでの重さ」と「最後まで仕上げる手間」だと思う。その両方を分担できる環境があるだけで、投稿を習慣にしやすくなる。ポメラと生成AIの二人三脚は、そんな二つの壁を低くしてくれる相棒なのかもしれない。

【244本目】エントリーシートがAIに無効化された後に残る評価とは

AIの普及で、採用の現場は大きく揺れている。
かつて「エントリーシートから意欲を読み取る」という、よく考えるとかなり怪しい評価方法が使われてきたけれど、生成AIによってあっさり無効化されてしまった。求職者にしてみればChatGPTに質問を投げれば、もっともらしい志望動機が整った文章になって返ってくる。採用担当者の立場からすると、見かけの言葉で本音や熱意を判別するのは、もう不可能に近い。

さらに本人確認用の写真も、AIの画像生成や修正で「整った顔写真」が簡単に作れてしまう。もちろん完全に別人というわけにはいかないだろうけれど、少し印象を変える程度の加工なら誰でも手を伸ばせる。そうなると履歴書に書かれている住所や学歴、職歴ぐらいしか「生身の証拠」として残らない。ただしこれも、性善説に立つのが現状だ。

当社のようなWeb制作会社の採用だと、これまでも任意提出としてきたポートフォリオがひとつの判断材料になる。実際にどんなサイトを作れるのか、どうデザインするのかがわかるからだ。ただし、AIコーディングに全面的に頼ったポートフォリオは、ぱっと見はきれいでも基礎力の欠如が透けて見えてしまう。依頼者の要望を翻訳して、設計して、実装までやり切るという筋力がないと、プロジェクトを任せるのは難しい。

AIを使いこなすことは、これからどんな職種でも必須の技能になるだろう。効率化のためにも、発想を広げるためにも、AIを味方にする姿勢は欠かせない。ただしそこで終わってしまう人──つまりAIに頼ってばかりで、自分の地力を磨くことを怠る人は、採用する側としてはどうしても不安を覚える。本質的な力を持たないままAIを使うと、結果は「それっぽいけど脆い」アウトプットになってしまうからだ。

では、これからの採用はどう変わっていくのか。AIが当たり前になればなるほど、逆説的に「一発勝負」の評価が重視されるのかもしれない。SPIやコーディング試験、デザイン課題といったものを実際にその場でやってもらう。そこで地力が見えるかどうか。そんな方向に採用の重心が移っていくのだろう。

AIがもたらした変化は、応募者にとっても企業にとっても大きい。
けれど結局のところ、求められるのは昔から変わらない「自分の力で最後までやり切る」ことなのだろう。

【241本目】ObsidianとCursorで文章を練る日々

すべてのノートはObsidianに

自分の企画原案ノートや作文の下書き、打ち合わせのメモ。そういうものは全部、Obsidianに集約している。
共有ドキュメントだけはGoogleに置いているけれど、基本はObsidianのVaultの中に溜まっていく。

Obsidianのいいところは、全部がMarkdown形式の軽いテキストファイルだということだ。だからファイルサイズも小さく、検索もすぐ終わる。しかもiCloudで同期しており、mac、iPhone、iPadで爆速でやり取りできる。

地味だけど、こういう安定感が一番ありがたい。

ChatGPTとのやり取りが習慣に

文章を練るときは、最近はObsidianからChatGPTにコピペすることが多かった。
一度自分で書いた文章をそのまま投げて、「言い回しを整理して」「この部分を膨らませて」と頼む。

返ってきた提案を取捨選択して、またObsidianに戻す。この流れが習慣になってきた。

Cursorを導入してみる

ただ今日、ふと思い立ってCursorを文章操作でも使えないかと触ってみた。
ObsidianのVault階層を丸ごと読み込ませたらどうなるか。

ファイル数が多すぎて重くなるんじゃないかと心配していたけど、意外にも問題なし。
さすがVS Codeベースだなと思った。

これだと、Obsidianで管理している膨大なメモや文章を、Cursor経由でAIに直接読ませられる。しかも文章をブロック単位で区切って、AIからの改良提案を見ながら「これは採用」「これはパス」と判断できる。

まるで横に編集者がいるような感じで、これはなかなか便利。

ChatGPTとCursorの違い

もちろん、ChatGPTに直接コピペするやり方のほうがシンプルではある。けれどCursorだとObsidian内のテキストファイルを直接でAI経由で編集できるのが面白い。

単発の原稿ではなく、過去のノートや断片まで視野に入れて提案もできるようだ。

ひとつ気になっているのは、最近気に入っているGPT-5 Plusとの相性だ。
ChatGPTのほうが提案を採用することが多く、文章に寄り添ってくれる感じがある。Cursorはツールとしての操作性は良いけれど、同じ感覚を持てるかどうかはまだ未知数。

こればかりは、しばらく使い込んでみないと分からない。

今のところの結論

私のテキストファイルの雑多な集積もAIを経由することで、私の脳が過去の知見も取り込んで拡張される感覚が面白い。

テキスト集積は過去の(今では忘れている)私なので、私の個性とも言えるだろう。
Obsidianに書き溜めた自分の声をAIが呼び覚まし、この瞬間に提案してくれる。

当面は、ChatGPTとCursorを行き来しながら文章を練ることになると思う。
そのあいだを行ったり来たりしながら、新しい言葉が生まれるのを待つ。

【239本目】AIと志望動機と自分らしさ

この前、面接準備をしていて、応募者の志望動機をふとChatGPTに見せてみた。
(もちろん個人情報は含まずに)

そしたらすぐに「これはAIが書きそうですね。なぜなら・・・」と返ってきた。
私もAIに書かせたっぽいなと直感したからChatGPTに投げてみたんだが、論理的にAIに書かせた確率が高い理由を回答してきた。

AIで文章を書くことは悪いことだとは思ってない。
むしろ「どんどん使えばいいじゃないか」と思っている派だ。
昔あった「履歴書を手書きじゃないなんて誠意がない」という感覚と、
「AIを使ったら本気じゃない」という批判は、どこか似ている気がする。

大事なのは、AIを使ったかどうかではなく、
使ったうえでどれだけ自分らしさや想いを込められるかだ。

AIが書いた文章を、そのまま出すのか、
自分の経験や考えを足して、ちょっと手を入れて仕上げるのか。
その差って、読む側にはちゃんと伝わるものだ。

Web制作の仕事でも同じ。
AIを使えば、コードもデザインもあっという間に形になる。
でも、それが動いているからといって、本当に理解しているとは限らない。
AIに書いてもらったので微調整ができないなんてことが、これから増えそうな予感もする。

AIは、いわば強力な補助エンジン。
最初の一歩は助けてくれるけれど、それだけじゃ成長できない。

採用する側としては、「AIを使ったかどうか」よりも、
「どう使っているか」や「仕上げでどんな価値を加えているか」を見たいと思う。

AIが当たり前の道具になった今、
“人間らしさ”や“自分らしさ”は、もう初稿にはなくて、
最終稿の中にこそ宿る時代なのかもしれない。

【235本目】iPad外付けキーボードの謎挙動をAIが一瞬で見つけた解決!

ここ数年、iPhoneやiPadに外付けキーボードをつなぐと、妙な現象に悩まされてきた。

キーを打ち始めようとすると、画面全体やボタンが勝手にフォーカスされ、入力が落ち着かない。以前はこんなことなかったのに、ある時期から急に始まった現象だ。(と思う)

ネットで調べても、役に立つ情報がほとんど出てこない。昔なら個人ブログで同じ症状や解決策を丁寧に書いてくれている人がいたのに、今は影も形もない。YouTubeには新機能の紹介動画は溢れているけど、こういう「地味だけど日常的に困る」不具合については、なかなか見つけられない。

以前、この件をChatGPTに聞いたことがある。でも返ってきたのは的外れな答えで、結局モヤモヤだけが残った。

ところが先日、最新のGPT5に同じ質問を投げてみたら……あっさり解決。

設定の「キーボードと入力」→「フルキーボードアクセス」をオフにする。それだけ。

笑ってしまうくらい簡単だが、効果は抜群。オフにしてもコピー&ペーストや画面切り替えといった基本的なショートカットはそのまま使えるので、不便はゼロ。むしろ以前の快適さが完全復活だ。

これでまた、出先にBluetoothキーボードを持ち出して、iPadやiPhoneでじっくり文章を書く環境が戻ってきた。移動中のカフェでメールをまとめたり、ブログの下書きを書いたり。最近買ったKODAK PIXPRO C1を合わせれば楽しみも広がる。

しばらく悩んでいたことが、たったひとつの設定変更で片付くとは。そしてそれを導き出したのがAIだというのも、なんとも今っぽい話だ。

ありがとう、ChatGPT。

これからもこういう小さなトラブルを、静かに、でも確実に片付けてくれる相棒にますますなっていくんだろうな。

【233本目】生成AIと暮らす日々が変えること。

生成AIと暮らす日々が変えること。

この1年ほどで、自分の情報の探し方が大きく変わった。

以前は何か調べたいことがあると、迷わず検索エンジンを開いていたけれど、最近はまず生成AIに聞いてみるのが当たり前になっている。

もちろん、検索にもいいところはある。でも、生成AIはただ「答え」を返すだけじゃなく、「やりとり」を続けてくれる。

この感覚、使い始めてからその大きさに気づいた。

たとえば、ある製品の違いを調べたいとき。検索だと、いくつものサイトを開いて、読み比べて、自分で整理しなければならない。でも、生成AIに聞けば、端的に比較してくれるし、わからないところはその場で聞き返せる。納得いくまで、何度でも。

こういう「対話」のスタイルって、検索がちょっと苦手な人にこそ向いているんじゃないかと思う。

リテラシーが高くない人でも、自分の言葉で問いかければ、それなりに返してくれる。しかも、急かさず、文句も言わずに。

ただ、それが当たり前になってくると、情報を出す側としては、今までの「常識」が書きかわらざるえない。

たとえば、会員登録しないと見られないようなページ。今までなら、検索エンジンがタイトルや冒頭を拾ってくれて、それがきっかけで人が来てくれていた。

検索中心なら「登録してください」と誘導できた。でも、AIに聞いたときに他社の情報だけが出てきたら、うちの情報は見てもらうチャンスすらない。

生成AIの学習対象にならなければ、その情報自体が「なかったこと」になってしまうのだ。

これって、情報発信の前提が根本から揺らぐ話かもしれない。

今後、「検索で見つけてもらう」ためのSEOと、「AIの対話の中に登場する」ための工夫は、まったく違う方向に進んでいく可能性がある。

GoogleもMicrosoftもOpenAIも、検索とAIの融合を進めているけれど、それがどう落ち着くのかはまだわからない。

ただひとつ、実感として言えるのは——

質問するのがあまりにも自然になってしまうと、もう従来の検索には戻れないかもしれない、ということ。

そして、質問に対する答えの中に登場しなければ、どんなに価値ある情報でも「存在していないこと」と同じになってしまう。そんな未来が、もう目の前に来ているように思う。

企業、組織、個人が発信する情報も、「(検索サイト経由)見つけてもらう」から「(生成AI経由で)そばにいる」へ。

そんな時代が、本当に始まっているのかもしれない。

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