静かで落ち着いて仕事ができるけど、家から遠いのが難点かな。でも、広いテーブルに座りやすいチェアー。
15年ぶりの再会
ブログで発見されて久しぶりにあった旧友は一層、苦悩を全身でエンジョイする男になっていた!
しかもモテモテで、モテ方も薄っぺらじゃない!
天上から地の底までをハンティングゾーンとする宇宙のような気の持ち主である。
一方、カバンには手塚先生のブッダを忍ばせる面もある。(図書館でレンタルである)
そんな彼(味カレーB)とはまた会うであろう。
大阪駅前ビルの謎の装飾
桜の造花が天上からぶら下がり、真ん中にはスイスの国旗がかかっている。
下の特設売り場では、別にスイス物産展があるわけではなく。
全く謎である。
ただ、マツケンサンバと通底するものを感じるのも事実である。
さあ!名古屋へ…また。。。
再び、名古屋へ。って今年に入って何回目??
移動中に思考ができるようにしないと。
最も詩が浮かぶ時として、
「馬上にて」(移動中)
「トイレにて」
あともう一個なんかあったけど、つまり頭が柔軟になるということだろう。
気がかりを考える時にしよう。
ectoがバージョンアップしたけど→ecto2.2.4
・エントリーした時間の表示がecto内でおかしい点。
→なぜか未来になってしまう。でも再読み込みすれば直る。Blogの方には影響は無い。
このエントリーを投稿して調査だ。
変な加藤ローサの巨大看板
すごい変な感じに見えるなぁ。
わざわざ不細工にしなくても。。。
元々ファニーな感じなんだから、そのまま往け!
みたいにうっすらと思ったけど、すぐに忘れてた。
ナガサワ文具店に向かって
久しぶりにナガサワ文具店に行ってみたけど、やっぱりコンパクトに全てあっていいなぁ。
ジェフ・ラスキン氏の死に想う
ITmediaニュース:ジェフ・ラスキン氏がパーソナルコンピュータにもたらしたもの:
既にMacintoshの開発ストーリーは神話になっており、歴史的にどうこうを言えるようなものではない。
もちろん、歴史学的においかければいいだろうけど、僕はずっと現実と言うつまらないPC環境の未来に生きている。
Macintoshが「常に何かを気に留めなければいけない」OSになったのは、OSXからだと思うけど、
実際にはかつてのOS9までも「フリーズ」「再起動」に「気」は留めさせられていた。
ただ、理想として「気を遣わせない」OSを目指すいう点は、まだあったとは思う。
一方、MacOSXは完全に従来の「理想」は廃棄された。
それでも比較として、Windowsよりは大幅に楽だから、現実的に楽だと、僕らは言う。
実際、MacOSXをプレビューリリース版から使う僕も同感だ。
でも、進歩ではなく、退化/現実との取引という青臭い薄汚さを感じるのも事実だ。
Newtonの死に、理想としてのMacintoshの死に、新しいインタフェースが必要とされている
今こそ本来的なハッカーが要請されているな。。。
代替品ではなく、WEBそのものとして
仕事の内容がどんどん中央から遠くなるなぁ。これもWEBが持つ水平性の由縁だろうか?それとも、僕自身が広告物の代替品と見ていないが故の因果だろうか?




