【220本目】加齢とともに人生の知見を深める旅

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3月に一つ歳を重ねた。
大病、大怪我、震災を直接経験しながらも無事ここまで生き延びることができたことに感謝と驚き。
55代半ばを超え、四捨五入で還暦。アラカン。

同年代の仲間は組織にいれば60歳定年までカウントダウン。
少し上の先輩は60歳再雇用や転職。
もっと上のお世話になった方々は仕事からはリタイアやもうひと働き。
など金を稼ぐ「仕事」を軸に見るとこれから10年くらいは自身の判断が問われることなりそう。

私の先を歩まれている諸先輩を見ていると人さまざまと思う。

私は加齢の代償として知見を深めていけると思えるかどうか。
好奇心を失わず、新しい動きも横目に学び続けていければ。

人生でずっと解決できなかった課題は解決方法があるのか?
そんな風に一人で勝手に学び続けたい。
知見は若い世代に求められないかもしれないが。

こうしてダラダラとブログを書きつけながら年老いていこう。

【215本目】新社会人とコロナ禍(仮説)

コロナ禍中に転職してきた若者が再び転職する様子を振り返ってみた。

彼らが仕事を始めた直後にコロナ禍に入ると、就職前に描いたノーマルは一気にアブノーマルな職場に変わった。

コロナ禍による「こんなはずじゃない新社会人生活」。
彼らはいつ終わるとも分からない状況に転職に希望を託した。

コロナ禍中に転職に成功した先はコロナ禍に対応した職場になっている。
若者は新しい職場環境を「ノーマル」に慣れるべく頑張る。
しかし転職先も実態はコロナ禍対応中で既存スタッフには「アブノーマル」な日常であり環境。

ここで先行して働いている人たちとの認識の根本的なズレが発生する。

コロナ禍が過ぎ、転職先も新たなノーマルに移行する。
働き方をハイブリッドワークであったり、対面に戻したり。

顧客もまた事業の活発化/再起動に合わせ、コロナ禍より密度の濃い仕事環境に「戻る」。
しかし転職した若者はコロナ禍中の職場からの激変に戸惑い、「アブノーマル」になっていると強く感じる。

ここで再び転職によって、自分が納得する「ノーマル」を探す希望を託すことになる。
次の転職先では、職場への認識のズレが解消されることを祈る。

【214本目】酒を呑まない夜の過ごし方は?

普段の仕事が終わるのが20時前と遅めなので、晩ごはんは軽くで済ませることが多い。

そのためかビールを呑みながら、1人で立ち飲みのカウンターに立って過ごすのは好きだし、今や趣味といっても良い。

ただ。50代半ばも超え、現役感の時間が長くないことを感じ始めると、酒と過ごす夜の時間の使い方を少し見直したくなってきた。

最近、自宅でテレワークの夜は酒を呑まずに夜を過ごすことを増やしている。

静かな夜は熱いミルクティーを飲みながらの読書が楽しい。

酒を呑んでる時は何も考えないYouTubeを見たりしてたが。

古本まつりや書店で買った積読本は山ほどある。本に困ることは全くない。

酒を呑まない夜は読書が私の過ごし方。

お陰で読書メーターの登録も捗る。

私の読書メーターページ

【208本目】過去10年間の個人目標を振り返ってみる。

私は小さな会社の経営者として生活の大半を過ごしている。
そのため毎年、年始に立てる個人目標は経営者としての目標とイコール。
いつから個人目標を立て始めたのが覚えていないが、振り返るのは年末だけ。
ふと思い立ち、10年間の目標を振り返ってみた。
すべてDayOneに投稿していたので引っ張り出すのは容易だった。
ありがとう!DayOne!

以下が10年間の個人目標一覧。

目標のスローガンをみると、当時のことがありありと思い起こされるのは意外。

  • 2025年目標「未来の礎づくり」
  • 2024年目標「適応する前進」
  • 2023年目標「挑戦と貢献」
  • 2022年目標「勇気ある前進と誠意ある深耕を」
  • 2021年目標「現在を深化させ、未来を探索する」
  • 2020年目標「新しい出会いと共感を作る行動を」
  • 2019年目標「踏み越える勇気と行動を」
  • 2018年目標「仲間への信頼を」
  • 2017年目標「頼れる個人が協働する頼れる組織へ。コアサービスを確信的提案へ」
  • 2016年目標「Sharpen & Reloaded」

2016年~2018年目標

  • 2016年目標「Sharpen & Reloaded」
  • 2017年目標「頼れる個人が協働する頼れる組織へ。コアサービスを確信的提案へ」
  • 2018年目標「仲間への信頼を」

この時期は小さなWeb制作会社にも関わらず自社開発CMSをリリースし、提案を進め始めた時期。2016年目標の「Sharpen & Reloaded」はそんな挑戦への心意気だったと思い起こされる。それまでのひたすらWeb制作を行い、更新サポートのみを行う労働集約型構造から労働集約+サービス提供の混合構造に変革し始めた。 それに伴い、組織構造も大きく改変。大きな戸惑いを抱えながら前進を続けた。
個人目標はそんな時期の前進の旗となった。

2019年~2020年目標

  • 2019年目標「踏み越える勇気と行動を」
  • 2020年目標「新しい出会いと共感を作る行動を」

2019年時点では、自社開発CMS+Web制作に自身を深め、新規顧客開拓の議論を始めた。ビジネスショーへの出展も具体的に構想していた。またスタッフ都合によるテレワーカーも生まれたことで、ハイブリッドワーク環境が準備されていた。

そんな中、2020年春に到来したコロナ禍。
2020年目標は2019年までの自信を胸に外へ挑戦を行う想定の目標だった。しかし2020年秋まではスタッフも会社も生き残ることが最優先で目標達成どころではなかった。 ただ今振り返ると、やはり目標を立てたことで、毎日厳しい判断を迫られた自分の指針になっていたことに気づかされる。
コロナ禍ではじめた社内向けメルマガは対面できない会社と社員間の共感を作るためにはじめ、今も続いている。ビジネスショーへの出展計画は取りやめとなったが、秋には新規事業分野の挑戦を開始。
オンライン会議を活用すれば、新規開拓=新しい出会いを実現できることも確信できた。

2021年~2022年目標

  • 2021年目標「現在を深化させ、未来を探索する」
  • 2022年目標「勇気ある前進と誠意ある深耕を」

コロナ禍が日常化&長期化を見通された中での個人目標になる。
2021年目標「現在を深化させ、未来を探索する」は既存顧客をWeb制作支えつつ(収益もあげつつ)、新規分野としたアカデミア系に挑戦する1年するつもりだった。 既存顧客はともかく、新規分野はオンライン/非対面が基本となる。もし、オンライン/非対面での新規開拓できるなら、コロナ禍後も展開できるとの期待もあった。

2022年目標「勇気ある前進と誠意ある深耕を」は2021年でのオンライン/非対面ので可能性に手応えを得たことで、組織的にできることを全て挑戦する意思表明だった。
コロナ禍が続く以上、経済は不活性が続くのだから、今のうちにポストコロナの種まきをする経営的な判断でもあった。一方、コロナ禍で疲弊した既存顧客には売上より寄り添ったWeb活用の提案を進めることにした。

2023年~2024年目標

  • 2023年目標「挑戦と貢献」
  • 2024年目標「適応する前進」

2023年は不意に「コロナ禍は終わり」となった。既存顧客を応援する貢献をしようとオンライン発信を様々に開始。また新規提案も担当者ごとにバラバラだったが全社で知見を集めた基本提案を練り上げ、オンライン提案を広げていった。 コロナ禍中にはじめたアカデミア系への新規提案は組織的にアクセルを踏み込む判断を行った。ポストコロナは既存顧客と新規開拓の2軸展開を本格化させる意思表明だった。

2023年の挑戦は前進と失敗が厳しくない交ぜだった。要因はコロナ禍中に始めた構想には現実との乖離があったためだと評価した。そのため2024年目標を「適応する前進」とし、ポストコロナの現実に「適応」し成果を追求することとした。あわせて組織も「適応」させるべく大きな改編を実施するつもりで1年間に臨んだ。結果的に「適応」を行い、成果もあげ2024年を終えることができた。

2025年目標

2025年目標「未来の礎づくり」
2016年から2024年までを振り返ると、コロナ禍をはさみ内外の環境は大きく変貌したものの、Web制作の知見を大切しつつ、自社サービス開発&提供という事業構造の転換はコロナ禍が加速した。また2019年時点では見えていなかった新規開拓の戦術はコロナ禍がオンライン/非対面を強要したこと。考える時間がとれたこと。などから2021年からは明確な戦略、戦術で今日まで推進することができている。

さて私自身については現在55歳。45歳から始めた個人目標はコロナ禍も乗り越えて、ここまでたどり着いた。そろそろ自社が継続する未来を示し、顧客にも働くスタッフにも安心を提供する責任を感じている。

そのため2025年目標は「未来への礎づくり」とした。
この目標の「未来」には私は含まれないだろう。
だからこと創業者として可能な礎づくりに力を尽くす1年としたいな。

【207本目】ある地方の交通

独居母の家に盆には私一人で帰る。父がリタイア時に田舎暮らしに憧れてなのか退職金で建てた一戸建て。父が亡くなり、今は母が独居だ。

そのため年に1〜2回。京都の私の自宅から特急に乗り、帰るのだが、最寄駅から母の家に向かう公共交通機関はタクシーが徒歩以外にもはやない。バスはとうになくなった。

レンタサイクルは駅前にあるがやってるかどうかわからない状態。
(お盆時に事前に電話予約したが当日は誰も受付におらず使えず。)

今年の大晦日はついに駅にいつも止まっているタクシーも捕まらず。タクシー会社に電話が繋がっても、夕方には早仕舞いしたと言われる状態。

結局、数キロを歩いて帰ることになった。
(途中、別のところに住む妹が車で拾ってくれた)

高齢者には免許返納を言っておいて社会的なフォローはほぼないんじゃどうすりゃ良いんよ。
この来秋にオンデマンドバスが始まるらしいけど。

国内のあちこちでこんなことになってんのかな。

私はもともと街育ちなので、終のすみかとして京都市内に自宅を建てた。
父とは真逆の判断となった。

【206本目】スキットルにウイスキーを入れて。

大晦日は独居の母が住む田舎の家に1人で訪ねる。

両親がリタイアで引っ越した田舎の家なので、私の故郷というわけでもない。

父が少し前に亡くなり、母は独居なので心配だが、生活できるうちはここに住みたいという。

年に2〜3回しか行けないが、LINEで連絡を取り合いながらなんとかやっている。

大晦日は嫁さんは猫達の世話があるので家に残り、息子の私だけが向かう。

偶然だが、大晦日に1人旅の時間ができることになっている。

いつも特急は満席なので、缶ビールを呑むのは気を遣いやりづらい。

そんなわけでスキットルにウイスキーを入れて昨年は持ち込んだ。

今年もやるか!と出発前にスキットルを出してきた。

冷蔵庫で冷やされていたニッカのウイスキーを引っ張り出す。

ジョウロでスキットルへ注いでいく。フルに入れる必要はないので半分くらいにしておく。

駅に向かう時、家にあったチョコを数個ポケットに忍ばせて。

無事に予約していた特急に乗り込み、席に座る。予想通り満席。

テーブルを下ろして、しばらく走り出してから、スキットルからウイスキーをチョコと一緒に。

飲み込んでしばらくすると胸と腹が温かくなり、心地よい。

さぁ。しばらく特急のひとり旅。

【204本目】私の50代前半は。

12/28。無事に自社の仕事納めを迎えた。

弊社の事業年度は7月から6月なので、12月は上半期の終わりとなる。

そのため仕事納めの日に上半期の事業進捗をスタッフに報告する。

ポストコロナが2023年に実態として始まり、2年目でもある。

結果としてはとても明るい報告を共有することができた。

コロナ禍中に始めた事業構造の改革が山あり谷ありではあったが、きちんと回り始めたと言えそうだ。

2020年はコロナ禍からスタッフと会社を守り、2021年からポストコロナを見据えて、事業構造の変革を開始。見つけてもらえるようDIYマーケティングと独自サービス開発。

働き方はハイブリッドワーク中心に移行しつつ残業を減らし、効率を高めた。

コロナ禍の緊張感のもと進めた改革は、結果的にしんどいことも多かったし、別れもあった。しかしこうでなければ、スタッフが信頼できる未来は描けなかった。

今、私は55歳。ふと振り返ると、50代前半は経営者としてコロナ禍と闘いながら過ぎていったのだろう。

年末だからそんなことをツラツラと。

【203本目】最近、気づくと古本ばかり読んでいる。

私にはいつも本を数冊は同時に読み進める癖がある。

1冊だけ読んでいると煮詰まるような感覚になるから。

ふと手元を見ると、今読みかけの本達は1冊を除いて全て古本であることに気づいた。
こうなった理由を考えてみると・・・

  • 今年複数回行った古本まつりで仕入れた本達を順番に読んでいるから。
  • 平日の自分の行動範囲に新刊書店がないから。
  • 平日の自分の行動範囲に質の良い古書店が複数あるから。

だろう。

休日に丸善に行くのは、目当ての本があることがほとんどで、古本まつりのように何冊も衝動買いはしない。だから丸善に行かなければ新刊を読むことがない。 また会社の近所には質の高い古書店が2~3店舗あり、昼休みに除いてちょこちょこ古本を買ったりする。

住んでいる町には幸い個性的な独立系書店も大型書店もあるので新刊が遠のいた感じはないが、これは幸運な環境だろう・・・

結局、手元に積読されている古本ばかり読む日常になっている。

【187本目】「みうらじゅんFES」「村上隆もののけKYOTO」を観て

「みうらじゅんFES」を観て


7月末に美術館「えき」KYOTOで「みうらじゅんFES」を観て楽しい気分になった。
楽しい気分の理由は、みうらじゅんが本物とキッチュの間を楽しんでいる人生への共感というのが私感だった。「君にもそういうことあるだろ?」と人生の先輩に飲み屋で語りかけてられている気分にもなれた。

「村上隆 もののけKYOTO」を観て


8月末に京セラ美術館東山キューブで「村上隆 もののけKYOTO」を観ることができた。前売り券は買っていたのだが、整理券が配布されており、12時前についたが13時から入館できるとのと。

昼ご飯でも済ませるかと、前から行きたかった第一旭熊野店へ徒歩で向かった。
第一旭熊野店「Aセット」:独りで酒と飯と本。時々、猫。

食事後に東山キューブに向かうとちょうど13時組の入館が始まっていた。

「村上隆 もののけKYOTO」は写真撮影自由で作品との距離も近く、身近に楽しめる工夫がされていた。やはり手描きのタッチを間近で見れるのは展覧会の醍醐味。

京都や日本美術を意識?した作品は概ね仏教美術を参照なのかな?


入館時に上半身でっかちの阿吽像が迎えてくれるし。


全て見終わると、池の畔にある巨大な金のお花の親子onルイヴィトン。

両展覧会を見て感じた共通のこと

みうらじゅんも村上隆も背景に思想があるのかもしれないが、展覧会だけ観て共通点を感じた。

それは「キッチュ」さだ。


みうらじゅんも村上隆も手描きの作品を観ると、表現力もそれを支える技術力もあることは一目瞭然。
それでも表現された作品群には「キッチュ」を感じるのだ。
(ファンの人達には異なる洞察あるもかもだけど・・・)

二人とも「キッチュ」には自覚的だと思うが、姿勢の違いがある気がする。

姿勢の違いはなんなのだろう。
金の匂いの強さか。(それは悪いことではない)

夏の間に二つも素晴らしい展覧会に行けて良かった。

【174本目】いろいろな年代の会社の人たちと呑む最後の機会

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私は50代半ば。仕事でいろいろな世代と会うが、20〜30代の方だと緊張されてしまう年代になってきた。

私が30〜40代にお世話になった年上の先輩達はそろそろ定年されつつある。もしくは再雇用組だが一線からポジションになっておられる。

60代の先輩達はみなさん元気で意気軒昂なので呑むと盛り上がる。

とはいえ、所属していた組織に積極的に関われなくなっている方も多い感じ。

50代の方々は同年だということもあるが似た悩みを共有していることが多い。現役として牽引もしなければならないが、後輩に託していく配慮も必要。

アクセルとブレーキを同時に踏むような悩みというか。

40代のリーダー層の方々は最も元気で熱量がある感じの方も多い。

助言できる場面もあれば、こちらの考えを更新する気づきをもらうこともある。距離感において最も緊張感を持つ感じ。

30代の「若手」の方々は最も悩み深い人価値が多いかな。年代が離れているので、私の経験による助言は陳腐化していることも多いだろうから、聞いてあげる姿勢を基本にしている。話を聞いていると、助言を求められるタイミングある。そんな時、もっとも自信の知見の言語化が試される気がして、知的刺激を受ける。

仕事でいろんな世代の会社の方々と付き合えるのは50代が最後かもな。。。と思いながら。

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