アイデアの迷いに光を当てる相棒=生成AI【249本目】

最近思いついた新しいサービスのアイデアを、iPadとApple Pencilであれこれ書きつけながら、しばらく頭の中でこねくり回していた。前半部分のコンセプトは「これはいける」と胸に落ちるのに、後半部分になるとどうも焦点が甘い。ユーザーが実際に利用して満足してくれるのか、そのイメージがどうしてもぼんやりしてしまう。自分の中では筋が通っているように思えても、確信が持てないのだ。

そこでChatGPTにアイデアを投げてみた。返ってきた答えは「後半部分はビジネス的にも厳しいのでは」という冷静な評価。まさに自分の中で曖昧にしていた部分を、はっきりとクリアに言語化されたような感覚だった。頭の片隅で「ユーザーはここで本当に満足するだろうか」と引っかかっていた点を、きちんと突かれることで、余計な迷いが整理されていく。自分一人では甘く見積もってしまうフォーカスを、ChatGPTがくっきり描き直してくれる感じがある。

そこで発想を変え、前半部分だけを切り出して、既存サービスとつなげる形に組み直せないかと再度問いかけてみた。すると今度は高い評価が返ってきて、私自身も「これならビジネスとしてイメージできる」と納得できた。最初の完成形にしがみつくよりも、強い部分を活かして再構築した方が、ずっと筋の通ったプロジェクトになるのだと気づかされた。

結局、新サービスのアイデアは半分にぶった切って再構築することにした。最初の構想からは大きく形を変えたけれど、無駄な枝葉を落としてみると、むしろ現実的で力のあるものに近づいた気がする。

迷いや甘さを一度クリアにしてくれる存在=生成AIがあると、アイデアは驚くほどシンプルに研ぎ澄まされていくのだなと実感している。

【244本目】エントリーシートがAIに無効化された後に残る評価とは

AIの普及で、採用の現場は大きく揺れている。
かつて「エントリーシートから意欲を読み取る」という、よく考えるとかなり怪しい評価方法が使われてきたけれど、生成AIによってあっさり無効化されてしまった。求職者にしてみればChatGPTに質問を投げれば、もっともらしい志望動機が整った文章になって返ってくる。採用担当者の立場からすると、見かけの言葉で本音や熱意を判別するのは、もう不可能に近い。

さらに本人確認用の写真も、AIの画像生成や修正で「整った顔写真」が簡単に作れてしまう。もちろん完全に別人というわけにはいかないだろうけれど、少し印象を変える程度の加工なら誰でも手を伸ばせる。そうなると履歴書に書かれている住所や学歴、職歴ぐらいしか「生身の証拠」として残らない。ただしこれも、性善説に立つのが現状だ。

当社のようなWeb制作会社の採用だと、これまでも任意提出としてきたポートフォリオがひとつの判断材料になる。実際にどんなサイトを作れるのか、どうデザインするのかがわかるからだ。ただし、AIコーディングに全面的に頼ったポートフォリオは、ぱっと見はきれいでも基礎力の欠如が透けて見えてしまう。依頼者の要望を翻訳して、設計して、実装までやり切るという筋力がないと、プロジェクトを任せるのは難しい。

AIを使いこなすことは、これからどんな職種でも必須の技能になるだろう。効率化のためにも、発想を広げるためにも、AIを味方にする姿勢は欠かせない。ただしそこで終わってしまう人──つまりAIに頼ってばかりで、自分の地力を磨くことを怠る人は、採用する側としてはどうしても不安を覚える。本質的な力を持たないままAIを使うと、結果は「それっぽいけど脆い」アウトプットになってしまうからだ。

では、これからの採用はどう変わっていくのか。AIが当たり前になればなるほど、逆説的に「一発勝負」の評価が重視されるのかもしれない。SPIやコーディング試験、デザイン課題といったものを実際にその場でやってもらう。そこで地力が見えるかどうか。そんな方向に採用の重心が移っていくのだろう。

AIがもたらした変化は、応募者にとっても企業にとっても大きい。
けれど結局のところ、求められるのは昔から変わらない「自分の力で最後までやり切る」ことなのだろう。

【241本目】ObsidianとCursorで文章を練る日々

すべてのノートはObsidianに

自分の企画原案ノートや作文の下書き、打ち合わせのメモ。そういうものは全部、Obsidianに集約している。
共有ドキュメントだけはGoogleに置いているけれど、基本はObsidianのVaultの中に溜まっていく。

Obsidianのいいところは、全部がMarkdown形式の軽いテキストファイルだということだ。だからファイルサイズも小さく、検索もすぐ終わる。しかもiCloudで同期しており、mac、iPhone、iPadで爆速でやり取りできる。

地味だけど、こういう安定感が一番ありがたい。

ChatGPTとのやり取りが習慣に

文章を練るときは、最近はObsidianからChatGPTにコピペすることが多かった。
一度自分で書いた文章をそのまま投げて、「言い回しを整理して」「この部分を膨らませて」と頼む。

返ってきた提案を取捨選択して、またObsidianに戻す。この流れが習慣になってきた。

Cursorを導入してみる

ただ今日、ふと思い立ってCursorを文章操作でも使えないかと触ってみた。
ObsidianのVault階層を丸ごと読み込ませたらどうなるか。

ファイル数が多すぎて重くなるんじゃないかと心配していたけど、意外にも問題なし。
さすがVS Codeベースだなと思った。

これだと、Obsidianで管理している膨大なメモや文章を、Cursor経由でAIに直接読ませられる。しかも文章をブロック単位で区切って、AIからの改良提案を見ながら「これは採用」「これはパス」と判断できる。

まるで横に編集者がいるような感じで、これはなかなか便利。

ChatGPTとCursorの違い

もちろん、ChatGPTに直接コピペするやり方のほうがシンプルではある。けれどCursorだとObsidian内のテキストファイルを直接でAI経由で編集できるのが面白い。

単発の原稿ではなく、過去のノートや断片まで視野に入れて提案もできるようだ。

ひとつ気になっているのは、最近気に入っているGPT-5 Plusとの相性だ。
ChatGPTのほうが提案を採用することが多く、文章に寄り添ってくれる感じがある。Cursorはツールとしての操作性は良いけれど、同じ感覚を持てるかどうかはまだ未知数。

こればかりは、しばらく使い込んでみないと分からない。

今のところの結論

私のテキストファイルの雑多な集積もAIを経由することで、私の脳が過去の知見も取り込んで拡張される感覚が面白い。

テキスト集積は過去の(今では忘れている)私なので、私の個性とも言えるだろう。
Obsidianに書き溜めた自分の声をAIが呼び覚まし、この瞬間に提案してくれる。

当面は、ChatGPTとCursorを行き来しながら文章を練ることになると思う。
そのあいだを行ったり来たりしながら、新しい言葉が生まれるのを待つ。

【233本目】生成AIと暮らす日々が変えること。

生成AIと暮らす日々が変えること。

この1年ほどで、自分の情報の探し方が大きく変わった。

以前は何か調べたいことがあると、迷わず検索エンジンを開いていたけれど、最近はまず生成AIに聞いてみるのが当たり前になっている。

もちろん、検索にもいいところはある。でも、生成AIはただ「答え」を返すだけじゃなく、「やりとり」を続けてくれる。

この感覚、使い始めてからその大きさに気づいた。

たとえば、ある製品の違いを調べたいとき。検索だと、いくつものサイトを開いて、読み比べて、自分で整理しなければならない。でも、生成AIに聞けば、端的に比較してくれるし、わからないところはその場で聞き返せる。納得いくまで、何度でも。

こういう「対話」のスタイルって、検索がちょっと苦手な人にこそ向いているんじゃないかと思う。

リテラシーが高くない人でも、自分の言葉で問いかければ、それなりに返してくれる。しかも、急かさず、文句も言わずに。

ただ、それが当たり前になってくると、情報を出す側としては、今までの「常識」が書きかわらざるえない。

たとえば、会員登録しないと見られないようなページ。今までなら、検索エンジンがタイトルや冒頭を拾ってくれて、それがきっかけで人が来てくれていた。

検索中心なら「登録してください」と誘導できた。でも、AIに聞いたときに他社の情報だけが出てきたら、うちの情報は見てもらうチャンスすらない。

生成AIの学習対象にならなければ、その情報自体が「なかったこと」になってしまうのだ。

これって、情報発信の前提が根本から揺らぐ話かもしれない。

今後、「検索で見つけてもらう」ためのSEOと、「AIの対話の中に登場する」ための工夫は、まったく違う方向に進んでいく可能性がある。

GoogleもMicrosoftもOpenAIも、検索とAIの融合を進めているけれど、それがどう落ち着くのかはまだわからない。

ただひとつ、実感として言えるのは——

質問するのがあまりにも自然になってしまうと、もう従来の検索には戻れないかもしれない、ということ。

そして、質問に対する答えの中に登場しなければ、どんなに価値ある情報でも「存在していないこと」と同じになってしまう。そんな未来が、もう目の前に来ているように思う。

企業、組織、個人が発信する情報も、「(検索サイト経由)見つけてもらう」から「(生成AI経由で)そばにいる」へ。

そんな時代が、本当に始まっているのかもしれない。

【222本目】生成AIと専門家の違い

先の投稿で紹介したが、自社の人事制度の新たな策定に挑戦している。

社労士で人事制度の策定に明るい先生に助力をお願いすることにした。
キックオフの打ち合わせでは、まずは1次案を私が立案してから先生に評価してもらうこととなった。
作り方は指導いただいたので、1ヶ月ほどかけて策定してみた。

その後、私が作った一次案を先生に送付前にNotebookLMに評価してもらった。
すると・・・抽象的とか目標設定が曖昧とか割と厳しいコメント。
「うわべでコメントもらってもな」といったんNOtebookLMを無視して先生に送付。

しかし対面で先生からもらった評価はNotebookLMとほぼ同じだった・・・
ただNotebookLMと先生の大きな違いは、課題をどうクリアするかの「やり方」を私たちのレベルに合わせて助言してくれたこと。

もし「やり方」を自分で考えられるなら・・・
生成AIとの壁打ちでも済ませることが増えていくのかもしれない。
特に自分の得意分野ならなおさら。

【221本目】経営者が後継者のために果たすべき3つの役割

会社を創り、社員を雇った経営者として後継者のために果たすべき役割。
以下の3つのタスクを50歳になる頃に数年以内に達成することを自らに課した。
1. 成長と持続可能性が期待できる新たな事業の創出
2. 業界内での独自性と競争力を持つ事業構造の構築
3. 成長を促進する納得のいく組織制度の整備

想定外はコロナ禍だったが、逆に落ち着いて1と2のタスクに取り組むことができた。
ポストコロナの新日常のもとで手応えを持って前進できている。
理不尽や失望にくじけなかったスタッフ達の頑張りのおかげ。

しかし3の内政面の整備が大きく遅れている。
昨年初めて実施した全社的なストレスチェックでも組織制度への不満が見える化された。

2025年の私の個人目標は「未来への礎づくり」に設定した。
タスク3を最優先で取り組んでいる。
組織制度の整備。
つまり人事評価の仕組みのバージョンアップでもある。
スタッフの成長を後押しし、役割分担しながら、公平で透明感のある評価制度。
人間の組織の永遠の課題だろうし、私自身が「これ」という明確な軸がないので大苦戦。
そこで人事制度にあかるい専門の先生に助力をお願いすることにした。

今年中には新しい人事制度を完成させ、試験運用を開始したい。
私の加齢による判断力鈍化の時間との勝負だ。

【193本目】中小企業ののんびり確実な採用活動

中小企業の採用活動が苦労しているのは、どこの業界でも似たようなものだろう。

とは言え、私の属するIT業界はしょくしゆによりまだマシと見られるかもしれない。
ただ、同業者がウヨウヨで有料媒体に出してもなかなか苦労する。

そんなわけで、どうせ応募が少ないなら、自社サイトで発信して気長に待つ方が良い。と10年くらい前に舵を切った。

プランユーケー採用サイト

自社サイトには、面接でよく聞かれること。入社したスタッフが就活中に気にしたこと。などを盛り込んだ。

その結果、Webデザイナー、コーダーは全て自社サイトから採用できるようになった。

もう10年は有料媒体は使っておらず、ハローワークを使うくらいだ。ハロワ経由の応募者も自社の採用サイトを見て応募してくれるので、応募が少ないと言われるハロワ採用でも効果を発揮している。

そして、今度は数年ぶりにWebプログラマーの採用をすることになった。

Webプログラマー募集の自社サイトはないので、立ち上げることにした。
早速、同業他社の採用ページを探してみる。

世の中でWebプログラマーは不足しているので、各社が競うように発信してると思っていたのだが、、、

意外や簡単な募集要項だけだったり、使う言語は書いてあるけど具体的な仕事が書かれてなかったり、、、

おそらく専門の有料求人サイトに出稿するのが採用ルートになっていると思われた。

なら、逆に自社サイトにきちんとしたWebプログラマー募集ページ群を作ればチャンスがあるかも。

中小企業だからこそ、採用は自社で立ち上げるべきだと思うんだよなぁ。
応募が少ないからこそ。

【191本目】権力の快楽を捨てること

お世話になってきた上の世代の方々が段々とリタイアしつつある。
ここまで声をかけてくださったことに感謝もあり、さみしい気持ちもあり。

ただ権力をお持ちの立場から去った後も、権力を持っていた頃の上下関係を
所属している(た)組織に求める場面も散見する。

思い起こせば昔からそういう場面をみるのは大企業で上層部や経営層になった方に多かった気もする。

それはどう考えてもうまくいくはずもない。指示をして「やらせる」姿勢だから。そして、自身が若かった頃のように現場をやるのも難しい。
体力的にも現場の知見的にも。

そういう姿を見たり、自身も巻き込まれたりすると悲しくなるのだが、私も10年以内に同様の振る舞いになる可能性がある。

権力の快楽はすっぱりと「捨て去らなければ」と強く想う機会になっている。

【182本目】obsidian→Googleドキュメント出力(その3)

昨年11月に上記投稿でobsidianからGoogleドキュメントへMarkdown書式をどう持っていくかについて書いた。結構閲覧されていたよう。

しかしGoogleドキュメント自体がMarkdown書式をフォローしてくれるという機能改善がなされた。

Googleドキュメントのメニュー

「編集>マークダウンから貼り付け」がさらっと追加になっているではないか。この機能が使えるGoogleドキュメントユーザーは、obsidianをはじめとするMarkdownエディターとの連携はコピー&ペーストで完了になった。

最近の私はというと・・・

obsidianを使いMarkdown書式で考えていることを書きまくる。社内共有用にGoogleドキュメントへobsidianのテキストをコピー&ペーストする。その際はもちろん「マークダウンから貼り付け」だ。すると完全に見出しや文字装飾もGoogleドキュメントの書式に変換される。

あとは見栄えを整えるだけ。

ありがとうGoogle!

Google ドキュメント、スライド、図形描画でマークダウンを使用する

【173本目】自分たちの手でサービスを開発する意味

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当社は20名にも満たない会社だが現在、自社開発サービスは5つある。
すべて顧客のお困りに応えるために身の丈を超えて開発してきた。
おかげで全て顧客にご利用いただいている生きているサービスになっている。

サービス開発も大変なのだが、リリース後もメンテ、アップデートが続くわけで本当に大変だ。

似たようなサービスがあるではないか?
そこまで自分たちで背負う必要ありますか?
という意見もしょっちゅういただく。

しかし、サービスを自社開発してリリースし、提案に反映し、サポートを行い。
という「身の丈」を超えているが手応えのある仕事をしていると、スタッフ達が自主的に業務の合理化やサービス普及の活動のアイデアを持ち寄ってくれる。結果的に小企業には「身の丈」を超えた仕事を自分ごととしてできるようになってきた。

当社の行動規範には「お客様以上にお客様を思う」があり、日常的な運営サポートで先回りした提案型サポートを実践している。顧客のお困りは担当者の自分ごとになり、自社サービス開発によるお困りごと解決という発想につながっている気がする。

中小企業こそ自社サービスを開発するのは社員達に自信と希望を提供することになるし、実践的な学びの機会にもなり、結果的に自社組織の改革も誘発するサイクルに入る可能性があるのではないか?と考える。 実体験として。

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