【243本目】分厚い本を読み通すシンプルな習慣

ここしばらく、新約聖書の通読を毎日続けている。田川建三訳の版を少しずつ読み進めていて、気づいたのは「どんなに分厚い本でも、毎日ほんの数ページでも続けていけば、いつかは必ず読了できる」というあたりまえのことだった。けれど実際に体感すると、これはなかなか励みになる。

読み進めた記録を残しておくと、さらに意欲が保ちやすい。今日はここまで読んだ、と目に見える形で確認できると、次の日もまたページを開こうと思える。そうして記録が積み上がっていくのは、ちょっとした達成感にもつながる。

いまは「新約聖書」と「存在と時間」を同時並行で読んでいる。どちらも数百ページはある分厚い本で、文庫版といえどもけっこうかさばるし、重さもずっしりとくる。通勤のときはパソコンや弁当、水筒に加えて仕事道具一式を背負っているから、これ以上の本を追加するのは躊躇われる。単行本で読みたい本もあるけれど、重さを考えると持参は諦めざるをえない

それでも、通勤時間や昼休憩のわずかな合間に本を開くためには、持参せざるをえない。自宅だけで読むと、どうしても机に向かえる時間に左右されてしまう。毎日の習慣として続けるには、やはり持ち歩くほうが確実なんだよな。

できれば通読対象の本にKindle版があればいいのにと思うのだけれど、そう都合よく電子化されているわけでもない。学術書や古典的な本ほど、電子版の選択肢が少ない。

そうしてみると、分厚い本を読み終えるコツは身についたけれど、「毎日持ち歩く負担」という現実的な問題はなかなか解決できそうにない。読みたい気持ちと、物理的な重さとのせめぎ合い。おそらくこれからもしばらくは続くだろう。

それでも、毎日少しずつ読みながら読了へ向かう時間は悪くない。
重さに耐えるのもまた、分厚い本を読むという行為の一部なのかもしれない。

【242本目】ブルトマン『イエス』が教える人生の瞬間

ブルトマンの『イエス』を読了した。
読み始める前は「著名な難解な神学書」という印象があって身構えていた。
実際に読んでみると、むしろ人間存在を直視させるような迫力があった。

特に心に残ったのは「その人の瞬間瞬間の決断において神への服従がかかっている」という繰り返されるテーマ。日々の瞬間瞬間にどう振る舞うかという選択の中に、神との関係が立ち上がるということだと理解した。ブルトマンがイエスを「あらかじめ迫ってくる神」への服従を宣べ伝える存在として語ったのは、この瞬間性を強調するためだったのではないか。そのため本書全体に我々、イエス、神との緊張がみなぎっているように感じた。

本書の前に読了した田川建三『イエスという男』で描かれたイエスは、宣べ伝える相手は徹底的に社会的弱者向かっており、ともに酒を飲み、飯を食い、大笑いし、共に歩む姿だった。

ブルトマンと田川建三のイエス像は対照的に見えるが、そういう人だったんだろうと、私には妙に胸落ちしている。

ブルトマンの『イエス』後段で示される「罪を神が赦してくれる可能性はあるが、償ってはくれない」という一節にも強く心を動かされた。赦しは与えられるが、過去の行為が帳消しになるわけではない。人は背負い続けざるを得ないが、それでも赦しがある。この二重性にこそ、信仰のリアリティと希望があるように感じた。

こうした理解には、ハイデガー『存在と時間』の「現存在」「世界内存在」をかじっておくと助けになる。ブルトマンがハイデガーに同時代的に呼応していることがよくわかる。今、読み進めている高田 珠樹「ハイデガー 存在の歴史」にもブルトマンがちらっと登場する。

また、自分にとって大きかったのは新約聖書の通読経験だ。福音書の文脈を思い浮かべながら読むと、ブルトマンの解釈を自分なりに考えることができた。聖書通読は知識の積み上げ以上に、解釈の新たな物差しを持つ機会だったと気づかされた。

ブルトマンの評価については、彼の「非神話化」の手法は革新的とされる一方で、信仰を合理化しすぎるとの批判もあるようだ。ただ、そうした議論を抜きにしても、『イエス』は読者に「歴史的な人物像」を示すよりも、「いま自分は日々、瞬間瞬間によく生きることができるか?」」を突きつけてくる本だと感じる。難解な神学書を読むつもりで開いたはずが、むしろ自分自身の生き方を問われる読書体験になった。

【241本目】ObsidianとCursorで文章を練る日々

すべてのノートはObsidianに

自分の企画原案ノートや作文の下書き、打ち合わせのメモ。そういうものは全部、Obsidianに集約している。
共有ドキュメントだけはGoogleに置いているけれど、基本はObsidianのVaultの中に溜まっていく。

Obsidianのいいところは、全部がMarkdown形式の軽いテキストファイルだということだ。だからファイルサイズも小さく、検索もすぐ終わる。しかもiCloudで同期しており、mac、iPhone、iPadで爆速でやり取りできる。

地味だけど、こういう安定感が一番ありがたい。

ChatGPTとのやり取りが習慣に

文章を練るときは、最近はObsidianからChatGPTにコピペすることが多かった。
一度自分で書いた文章をそのまま投げて、「言い回しを整理して」「この部分を膨らませて」と頼む。

返ってきた提案を取捨選択して、またObsidianに戻す。この流れが習慣になってきた。

Cursorを導入してみる

ただ今日、ふと思い立ってCursorを文章操作でも使えないかと触ってみた。
ObsidianのVault階層を丸ごと読み込ませたらどうなるか。

ファイル数が多すぎて重くなるんじゃないかと心配していたけど、意外にも問題なし。
さすがVS Codeベースだなと思った。

これだと、Obsidianで管理している膨大なメモや文章を、Cursor経由でAIに直接読ませられる。しかも文章をブロック単位で区切って、AIからの改良提案を見ながら「これは採用」「これはパス」と判断できる。

まるで横に編集者がいるような感じで、これはなかなか便利。

ChatGPTとCursorの違い

もちろん、ChatGPTに直接コピペするやり方のほうがシンプルではある。けれどCursorだとObsidian内のテキストファイルを直接でAI経由で編集できるのが面白い。

単発の原稿ではなく、過去のノートや断片まで視野に入れて提案もできるようだ。

ひとつ気になっているのは、最近気に入っているGPT-5 Plusとの相性だ。
ChatGPTのほうが提案を採用することが多く、文章に寄り添ってくれる感じがある。Cursorはツールとしての操作性は良いけれど、同じ感覚を持てるかどうかはまだ未知数。

こればかりは、しばらく使い込んでみないと分からない。

今のところの結論

私のテキストファイルの雑多な集積もAIを経由することで、私の脳が過去の知見も取り込んで拡張される感覚が面白い。

テキスト集積は過去の(今では忘れている)私なので、私の個性とも言えるだろう。
Obsidianに書き溜めた自分の声をAIが呼び覚まし、この瞬間に提案してくれる。

当面は、ChatGPTとCursorを行き来しながら文章を練ることになると思う。
そのあいだを行ったり来たりしながら、新しい言葉が生まれるのを待つ。

【240本目】KODAK PIXPRO C1と一乗寺散歩

送り火翌日の蒸し暑い日曜日。ふと一乗寺へ散歩に行くことにした。

市バス3番線に乗って向かう。

元田中でバスを降り、ガチ中華の刀削麺で腹を満たし、恵文社へ徒歩で向かう。KODAK PIXPRO C1を右手首にぶら下げながら。

自分の居場所はiPhoneのマップ頼みでぶらぶら散歩するのが好き。

良さそうなお店もあるなぁ。

素晴らしい看板のたこ焼き屋。日曜休みかぁ。

恵文社は2〜3年ぶりかな。意思を持って並べられた本棚たちはやはり面白い。最近の自分の興味の変化を感じることもできた。

やはり偶に来ないとな。と思ったな。

恵文社に入口に近隣の書店マップがあり、眺めていると萩書房を発見。

古本祭りでよく立ち寄る古書店だ。

徒歩数分なので、汗をかきながら向かう。

萩書房では気になる本があったが、今回は見送り。

この後、サイゼリヤ一乗寺店へ移動し、冷たい紅茶で一服。

読みかけだった「存在と時間」一巻を読了した。

【239本目】AIと志望動機と自分らしさ

この前、面接準備をしていて、応募者の志望動機をふとChatGPTに見せてみた。
(もちろん個人情報は含まずに)

そしたらすぐに「これはAIが書きそうですね。なぜなら・・・」と返ってきた。
私もAIに書かせたっぽいなと直感したからChatGPTに投げてみたんだが、論理的にAIに書かせた確率が高い理由を回答してきた。

AIで文章を書くことは悪いことだとは思ってない。
むしろ「どんどん使えばいいじゃないか」と思っている派だ。
昔あった「履歴書を手書きじゃないなんて誠意がない」という感覚と、
「AIを使ったら本気じゃない」という批判は、どこか似ている気がする。

大事なのは、AIを使ったかどうかではなく、
使ったうえでどれだけ自分らしさや想いを込められるかだ。

AIが書いた文章を、そのまま出すのか、
自分の経験や考えを足して、ちょっと手を入れて仕上げるのか。
その差って、読む側にはちゃんと伝わるものだ。

Web制作の仕事でも同じ。
AIを使えば、コードもデザインもあっという間に形になる。
でも、それが動いているからといって、本当に理解しているとは限らない。
AIに書いてもらったので微調整ができないなんてことが、これから増えそうな予感もする。

AIは、いわば強力な補助エンジン。
最初の一歩は助けてくれるけれど、それだけじゃ成長できない。

採用する側としては、「AIを使ったかどうか」よりも、
「どう使っているか」や「仕上げでどんな価値を加えているか」を見たいと思う。

AIが当たり前の道具になった今、
“人間らしさ”や“自分らしさ”は、もう初稿にはなくて、
最終稿の中にこそ宿る時代なのかもしれない。

【238本目】危険判定でも大満足?Omikamo日本語配列キーボードレビュー

先日、iPad用にBluetoothキーボードをAmazonでポチってしまった。
条件はこんな感じ。

  • 日本語配列
  • 折りたたみ式&軽量
  • USB-C充電対応
  • 2〜3台のデバイス切り替えが可能

そして購入ページを見てみたら…サクラチェッカーでは「危険」判定。
正直ちょっと身構えたけど、好奇心が勝った。という投稿をした。

届いたのは「Omikamo」製の折りたたみキーボード。(Omikamoって何者?)

実際に使ってみると、これが予想以上に快適。
フルサイズの日本語配列なので、キー配置に無理がない。
打鍵感は、なんならMacBook Airよりも好みかもしれない。
折りたたみ特有のキー変形や幅の圧縮もなく、指が迷わないのも嬉しい。

Bluetoothの初期登録はちょっと迷ったが、一度つなげば接続は安定。
デバイス切り替えもスムーズで、英数/かな変換キーがあるおかげで言語切り替えも楽。

さらに、同梱されていたスマホスタンドでiPhoneにもつないでみたら、これがまた快適。
iPadだけでなく、外出時のiPhone入力の相棒としても十分アリだと感じた。

あえて欠点を挙げるなら…

  • キーボードにほぼ傾斜がなくフラットなこと(これはカスタマイズ予定)
  • 接続やバッテリー残量を示すランプが小さく、老眼には厳しいこと

あとは折りたたみギミックの耐久性が少し心配だが、頻繁に開閉しないのでそこまで問題なさそう。

最後にひとつ。
iPadもiPhoneも「フルキーボードアクセス」はオフにしておくこと。これ重要。

【237本目】雨の下鴨納涼古本まつりへ

今年も下鴨納涼古本祭りに駆けつけた。以下は過去の投稿。

あちこちの古本まつりに行くが、下鴨納涼古本まつりは私好みの本と出会うことが多い。

今年は大雨のせいで初日は中止。
今日も雨のせいで地面はぬかるんでいるが、熱心に皆さんが本を探してる。
私もだが。

棚を見ていると「雨がまもなく来るよ」と店員さんが本が積まれた平台にブルーシートがかかっていく。

お店は大変だな、、、

私は仕事の都合で駆け足で見て帰らねばいけない。
目当てのお店はしっかりと見つつ、ブルーシートの「おかげ」で寄り道を避けることができた。

結局、雨に降られる直前に退散。
ほんの1時間ほどの滞在で購入は2冊。

  • 「ハイデガー 存在の歴史」高田珠樹
  • 「出口王仁三郎」出口京太郎

「ハイデガー 存在の歴史」は「存在と時間」の翻訳で有名な高田珠樹氏によるハイデガー伝。
なぜ存在の思考に向かったのかを知ることができそうなので購入。古本で単行本を買うと積読になりがちなので購入を躊躇ったが、今、熊野訳「存在と時間」を読み進めてこともあり買ってしまった。

「出口王仁三郎」は以前から興味があったのだが、著者が孫ということで思わず衝動買い。三密堂さんでは毎回購入させてもらっているかも。私の好みに合うんだろうな。

毎回良い本に出ある三密堂さんのボード。
ユーモアとセンスあるなぁ。

次の古本まつりは百万遍知恩寺と四天王寺かな。
だんだん私の中で年間行事になってきたかも。

全国の古本まつりの予定はこちらを見るとわかります。

https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

【236本目】iPadのBluetoothキーボード買ってしまった。

iPadとキーボード

先日、iPadとBluetoothキーボードをつなぐと、なぜか画面全体やボタンに勝手にフォーカスが移ってしまう——あの地味にストレスな現象。
「フルキーボードアクセス」をオフにするだけであっさり解決してから、急にキーボード熱が再燃してきた。

もともとiPadではマウスも使っているので、トラックパッド付きのキーボードは不要。
となると、欲しいのは「打ちやすくて軽くて、持ち運びが苦にならない」やつ。条件を整理するとこんな感じになった。

  • 日本語配列であること
  • 折りたたみ式で軽量
  • USB-C充電対応
  • 接続デバイスを2〜3台切り替え可能

重量やキー配列のクセは実物を触らないとわからないから、ネット購入は基本的にギャンブルだ。

そんな中、たまたまSNSを眺めていたら、ライターさんが「このキーボードとiPadの組み合わせが最高」と投稿しているのを発見。
写真も使い方もしっくり来て、「あ、これかも」と思ってしまった。


その瞬間、脳内の慎重派が声を上げる間もなく、Amazonでポチッ。

リンク先の商品ページをサクラチェッカーにかけると、まさかの「危険」判定。
とはいえ、こういう時に「ハズレだったらそれもネタ」と思えるのがガジェット好きの性。
到着を楽しみに待ちながら、今はただ「いい買い物だった」と未来の自分が言ってくれることを祈るばかり。

またレビューを投稿しよう。

👉 話のきっかけになったのはこの商品
https://amzn.to/4loldAn

【235本目】iPad外付けキーボードの謎挙動をAIが一瞬で見つけた解決!

ここ数年、iPhoneやiPadに外付けキーボードをつなぐと、妙な現象に悩まされてきた。

キーを打ち始めようとすると、画面全体やボタンが勝手にフォーカスされ、入力が落ち着かない。以前はこんなことなかったのに、ある時期から急に始まった現象だ。(と思う)

ネットで調べても、役に立つ情報がほとんど出てこない。昔なら個人ブログで同じ症状や解決策を丁寧に書いてくれている人がいたのに、今は影も形もない。YouTubeには新機能の紹介動画は溢れているけど、こういう「地味だけど日常的に困る」不具合については、なかなか見つけられない。

以前、この件をChatGPTに聞いたことがある。でも返ってきたのは的外れな答えで、結局モヤモヤだけが残った。

ところが先日、最新のGPT5に同じ質問を投げてみたら……あっさり解決。

設定の「キーボードと入力」→「フルキーボードアクセス」をオフにする。それだけ。

笑ってしまうくらい簡単だが、効果は抜群。オフにしてもコピー&ペーストや画面切り替えといった基本的なショートカットはそのまま使えるので、不便はゼロ。むしろ以前の快適さが完全復活だ。

これでまた、出先にBluetoothキーボードを持ち出して、iPadやiPhoneでじっくり文章を書く環境が戻ってきた。移動中のカフェでメールをまとめたり、ブログの下書きを書いたり。最近買ったKODAK PIXPRO C1を合わせれば楽しみも広がる。

しばらく悩んでいたことが、たったひとつの設定変更で片付くとは。そしてそれを導き出したのがAIだというのも、なんとも今っぽい話だ。

ありがとう、ChatGPT。

これからもこういう小さなトラブルを、静かに、でも確実に片付けてくれる相棒にますますなっていくんだろうな。

【234本目】社内メルマガで橋を渡る言葉たち

2020年4月。
コロナの緊急事態宣言が出た直後、僕は毎月1日に社員向けのメールマガジンを配信することを始めた。
直接会えない日々の中で、社員が会社や将来に不安を感じているのは目に見えていた。
だったら、言葉で橋をかけてやろう。そう思ったのが始まりだった。

毎月3,000文字くらい。
経営方針や事業の状況を、なるべく正直に、前向きに書いた。
社員一人ひとりの机に、自分の声を置くような感覚で続けていたけれど、最初は「本当に読んでくれてるのかな?」という疑問もあった。

でも、ある日ふと気づいた。
会議や日々のやりとりの中で、以前メルマガに書いた言葉や考え方が、自然と社員の口から出てくる。
「ああ、橋を渡って言葉が届いてるんだな」と、妙に嬉しかった。

コロナが落ち着き始めたころ、会社はハイブリッドワークを基本にすることにした。
もう毎日顔を合わせるのが当たり前じゃない。
だから、このメルマガはやめなかった。
オンライン会議やチャットでは伝わらない背景や温度感を、文章ならちゃんと渡せると思ったからだ。

世の中では動画やSNSでの社内メッセージが増えているけれど、文章には文章の良さがある。
読む行為には「自分のペースで消化する時間」があり、一度文字になったものは何年後でも読み返せる。
そういう意味で、文字は時間にも強い。

まもなく70号になる。
100号まであと3年。そのとき僕は60歳だ。
会社も僕自身も、その頃にはたぶん変わっている。
でも、このメルマガという橋は、そこまで渡し続けようと思っている。
単なる社内報じゃなく、経営の思いを現場に届ける大事な橋だから。

100号を迎える日に、その橋の向こうにどんな景色が広がっているのか。
それを楽しみに、また来月1日の原稿を書き始める。

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