
ここしばらく、新約聖書の通読を毎日続けている。田川建三訳の版を少しずつ読み進めていて、気づいたのは「どんなに分厚い本でも、毎日ほんの数ページでも続けていけば、いつかは必ず読了できる」というあたりまえのことだった。けれど実際に体感すると、これはなかなか励みになる。
読み進めた記録を残しておくと、さらに意欲が保ちやすい。今日はここまで読んだ、と目に見える形で確認できると、次の日もまたページを開こうと思える。そうして記録が積み上がっていくのは、ちょっとした達成感にもつながる。
いまは「新約聖書」と「存在と時間」を同時並行で読んでいる。どちらも数百ページはある分厚い本で、文庫版といえどもけっこうかさばるし、重さもずっしりとくる。通勤のときはパソコンや弁当、水筒に加えて仕事道具一式を背負っているから、これ以上の本を追加するのは躊躇われる。単行本で読みたい本もあるけれど、重さを考えると持参は諦めざるをえない
それでも、通勤時間や昼休憩のわずかな合間に本を開くためには、持参せざるをえない。自宅だけで読むと、どうしても机に向かえる時間に左右されてしまう。毎日の習慣として続けるには、やはり持ち歩くほうが確実なんだよな。
できれば通読対象の本にKindle版があればいいのにと思うのだけれど、そう都合よく電子化されているわけでもない。学術書や古典的な本ほど、電子版の選択肢が少ない。
そうしてみると、分厚い本を読み終えるコツは身についたけれど、「毎日持ち歩く負担」という現実的な問題はなかなか解決できそうにない。読みたい気持ちと、物理的な重さとのせめぎ合い。おそらくこれからもしばらくは続くだろう。
それでも、毎日少しずつ読みながら読了へ向かう時間は悪くない。
重さに耐えるのもまた、分厚い本を読むという行為の一部なのかもしれない。
























