【233本目】生成AIと暮らす日々が変えること。

生成AIと暮らす日々が変えること。

この1年ほどで、自分の情報の探し方が大きく変わった。

以前は何か調べたいことがあると、迷わず検索エンジンを開いていたけれど、最近はまず生成AIに聞いてみるのが当たり前になっている。

もちろん、検索にもいいところはある。でも、生成AIはただ「答え」を返すだけじゃなく、「やりとり」を続けてくれる。

この感覚、使い始めてからその大きさに気づいた。

たとえば、ある製品の違いを調べたいとき。検索だと、いくつものサイトを開いて、読み比べて、自分で整理しなければならない。でも、生成AIに聞けば、端的に比較してくれるし、わからないところはその場で聞き返せる。納得いくまで、何度でも。

こういう「対話」のスタイルって、検索がちょっと苦手な人にこそ向いているんじゃないかと思う。

リテラシーが高くない人でも、自分の言葉で問いかければ、それなりに返してくれる。しかも、急かさず、文句も言わずに。

ただ、それが当たり前になってくると、情報を出す側としては、今までの「常識」が書きかわらざるえない。

たとえば、会員登録しないと見られないようなページ。今までなら、検索エンジンがタイトルや冒頭を拾ってくれて、それがきっかけで人が来てくれていた。

検索中心なら「登録してください」と誘導できた。でも、AIに聞いたときに他社の情報だけが出てきたら、うちの情報は見てもらうチャンスすらない。

生成AIの学習対象にならなければ、その情報自体が「なかったこと」になってしまうのだ。

これって、情報発信の前提が根本から揺らぐ話かもしれない。

今後、「検索で見つけてもらう」ためのSEOと、「AIの対話の中に登場する」ための工夫は、まったく違う方向に進んでいく可能性がある。

GoogleもMicrosoftもOpenAIも、検索とAIの融合を進めているけれど、それがどう落ち着くのかはまだわからない。

ただひとつ、実感として言えるのは——

質問するのがあまりにも自然になってしまうと、もう従来の検索には戻れないかもしれない、ということ。

そして、質問に対する答えの中に登場しなければ、どんなに価値ある情報でも「存在していないこと」と同じになってしまう。そんな未来が、もう目の前に来ているように思う。

企業、組織、個人が発信する情報も、「(検索サイト経由)見つけてもらう」から「(生成AI経由で)そばにいる」へ。

そんな時代が、本当に始まっているのかもしれない。

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