
京都市学校歴史博物館は知りたいことがしっかり分かって良い施設だった。
若い中国人のカップルが戦前の教科書を食い入るように読んでたのが印象的。
京都市内では、文部省の学制発布後も漢籍も交えた独自教育をしばらく行ってたし、学区創設当初から当面は孔子と菅公に一礼してから学校に入ることになっていた。中華文化が高レベルに混ざっていたんだな。
さて、なぜ京都市で学区制が始まったのか?それを知ることが今回の訪問の目的だった。
明治維新後に天皇(と関わる多く人)が遷移し、京都の人たちは今後に危惧を抱いたそう。

そこで町民の寄付主体で再編された番組=学区単位で小学校を建てた。64校も!
教育に投資することで、人材を育成し、町を再興するのだという決意で。
町内の竃のある家は、子供の有無にかかわらず寄付をし、お金は「小学校会社」が集めた。小学校単位で会社にして寄付金を管理し、なんと借り出しを行い、利息を学校運営費に充てたという!!
学校運営は自立し、京都に資する人材育成を目的に行ったようだ。(日本画を学科とするなど)
京都市の学校設立から遅れて、文部省の学制が発布された。町民と地方自治が国の制度に先んじ、お金集めも回すことも自前というのは本当に驚いた。
(視察した福沢諭吉も熱烈に驚いた)
また、手話のガイドを配布したり、児童自治会をやったり。
開学後も学校の増改築などは学区で、建築委員会を設置して寄付を募っていたようだ。(この委員になったら大変や、、、)
知らないことが多く、本当に驚いたが、硬直的ではない、柔らかい教育づくりに感動した。

京都市学校歴史博物館
https://goo.gl/maps/hBGsoaneqeB2
#考えたこと #京都 #歴史
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