僕の30代後半のすべて、文字通りすべてをつぎ込んだ事業が今日終わった。
永遠続けることを目指してわけだから、「失敗」だと思う。
どう言い繕おうと。(幸い僕も会社も元気だが)
家族も友人も社員も金も時間もなにもかもつぎ込んだ。
そして終わった。失敗した。
多くの人を巻き込んだサービスの撤退作戦は1年に及んだ。
きれいに撤退することはできた。
でもそして終わった。失敗した。
今は、なぜ失敗したかを振り返るつもりもなくなっている。
ただ、失敗の無念さが、逆に可能性を孕んだままだという豊穣さ。
あがいていた時に出会った人たちとの繋がりの豊穣さ。
結果として失敗が豊穣さだけを残した。
今晩の月を見ながら、SIONを聴きながら、そんなことを考えている。

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