効率追求が好きな人がいるとして、自身が属する場や組織の無駄を省き率を良くしたい。と当然思うのだろう。
一人そういう人がいると、いろいろなことが見直され、効率改善することと、そのままで行くことがはっきりしていくだろう。
そのままで行くことが決まると効率追求好きの人がいたたまれないかもしれない。
一方、可能な効率改善は果てないとはいえ、徐々に劇的な変化は減っていく。
そうして・・・効率追求により生まれるはずの余剰でなにをするのかが大切だ。
しかも最初に確認しておかなければ、効率追求自体が目的になる。
効率追求自体が目的となり、効率化の成果は徐々に縮小していき、曖昧な余剰だけが生まれると、その先には余裕なのか怠慢なのかがが到来するのかもしれない。
とある若者の時間経過を見ていて、そんなことを考えた。
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