組織強化とは、機能性の拡大だ。そこでは、自分たちの存在論の追求はミニマム化もしくは棚上げする。
しかし、存在論の追求のための組織拡大であることを忘れると、アイデンティティーは希薄となり、結局、成果主義へ。
そして、凡庸な存在になってしまう。と実感する夏だった。
存在論は成果は測定できない。だから、わかりやすい機能追求がやめられなくなるんだろう。
存在論は教育とセットではないか。何より教育は投資であり、結果的に成果にもなるのではないか。などとも考えている。
存在論をやめない組織にせねば、僕らのような小さな組織が生き残るために。

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