藤原新也の「黄泉の犬」文庫版を読んでいる。
青年のバイブルと言ってもいい「印度放浪」を老年の藤原新也が振り返る体裁だ。
一方、オウム真理教、阪神淡路大震災、東大卒の迷える若者という現在の事件と過去を行ったり来たりして、
年寄りも回顧話になっていない読み応えのある硬質な内容だ。
「印度放浪」でも印象的なエピソードである川の中洲での水死体と野良犬との攻防とショッキングな写真について、現場での実況の下りがとにかく印象的だ。
中でも帰りの船上での唐突な「耳の瞑想」の話。長いが抜粋するとこうだ。
いまあなたがいる場所には無数の音や声がひしめいている。その中のいちばん小さな音を探し当てるがいい。そしてそれに耳を傾ける。そうすると意識が集中してくる。その小さな音が確かに聞こえるようになったら、それよりもさらにもっと小さな音を探し当て、それに耳を傾けなさい。そしてそれがまた確かに聞こえるようになったら、それよりもさらにもっと小さな音を探し当て、それに耳を傾ける。そのようにして、徐々に徐々に、沈黙の音を自らのものにたぐりよせるのだ。漁師が魚の入った網を手元にたぐり寄せるように。
多少の誤字もあると思うけど、ほぼこんな内容。
この話だけでも考える話だけど、中洲での「悟り」とも言える体験の後に「耳の瞑想」。
なんだか昨晩に読んでから、未だに心が鎮まらないのだ。
まとまらないうちのブログに書きつけておこうと思った次第。

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