大学生時代に現実逃避とエキゾチズムへの憧れがないまぜとなって、藤原新也の「印度放浪」(文庫版)を読み、旅への憧れを募らせた。チベット~インドという旅の計画は立てたものの結局、諸々の事情で行く事はなかった。その後、「西蔵放浪」を読み、それきり「藤原新也は卒業だな」と勝手に決め付けていた。
最近はカメラをいじるようになり、ふとどこかのブログで藤原新也について目にしたものだから、帰り道に紀伊国屋で「印度放浪」を懐かしく、約15年ぶりに手にとって見た。
ふと、前書きである「15年目の告白」を立ち読みしてみた。
文庫版のためのらしかったが、全く僕は読んだ記憶がなかった。
そこでは藤原新也が20代の若者から「なぜインドへ行ったのですか?」という彼がその日まで何万回と質問されたことを、再びたずねられていた。
質問されている藤原新也は40歳になりたてらしかった。そして、そこで何かが変わったということ(まるで悟りのような・・・)が朴訥とシンプルに書かれており、その心の動きに共感していた。
なにに驚いたって。40代の藤原新也に共感し、エキゾチズムとしてしか見れなかった「印度放浪」の写真が全く違った意味に見えてきたこと。
つまり僕は年を重ねているのだということ。
願わくば本当に「賢く」なっていればいいのだけれど。



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