基本的に文中でずっと陰鬱なディランだが、不思議と透明な感じを持つ。僕が好きになったディランの経歴の「中期」
といわれる時期がディランにとって満足いくものではなかったというのも驚きだった。
ウェスタン映画に出たり、カントリーディスクを作ったりも、この自伝を信じるなら何かから逃げるためだったということになる。もちろん、
「今」から振り返ってのことだから「本当」かどうかはともかく。
少なくとも「中期」のディランに僕は今もって感銘を受けているし。確かにディランも語るとおり「暗号めいて」
単に意味不明なものも多いが。
にしても、中期を過ぎていくディランが引退をかけた最後のつもりのツアーで「悟り」を開く流れは、
全く共有できる経験がないにも関わらず深く感動してしまった。そして、そのことの不思議さにはっとした。
この自伝は小説なのだ。ツクリモノだとかそんなクダラナイ話ではなく。
読者が作品という他者に出会い、開きながら、取り込んでいく。これこそが小説というものじゃないかな。。。